Kiss My Earth

遙かなる古代、我々は火を扱うことで他の動物たちより優位に立つことができた。

からだを覆う毛皮もなく、鋭い爪や牙を持たない人類は、
火を自由自在に操ることで、生物の頂点に立ったのだ。
長い歴史の中で、その火というシンプルな道具から始まり、
人々はあらゆる便利な道具を手に入れたが、
いつの間にか我々は自分の手に負えない道具まで手に入れてしまった。

確かにあれば便利な道具は多い。
が、なくても生活に大きな影響を与えない道具も数多く存在する。
べつに古代の生活に逆戻りしようという提案をする気はないが、
もう少し、自分の周囲の道具を見直してみることも、時には必要じゃないか。

例えば靴という道具。確かに素足じゃ歩くのに痛い思いをする。
ましてや長い距離を走るのなら靴が必要かもしれない。
しかしソールにあらゆる素材のクッションを詰め込み、
アッパーに様々な工夫を凝らしてみても、故障を訴えるランナーは後を絶たない。

よくよく考えると、己の足の裏は、我が母なる大地、地球との唯一の接点である。

その大地の鼓動や息遣いを、厚いソールによって見過ごしてはいないだろうか?
それにもしかして、衝撃から保護してくれるはずの靴が、
人間本来が持つチカラを奪ってしまっているかもしれない。

道具を捨て去ることで、人間本来の持てるチカラを発揮して未来を見つめることは、
ここ十数年の間に二度もの大きな震災を経験した我々にとって、
ある意味に於いて転機となるのではないか。

さあ己の足の裏で、優しく地球に口づけしようではないか。

木村東吉


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