ワラーチビギナーへ ~ 怪我をしないための正しい始め方
つま先から走る
ボクの場合は「ミッドフッド」と言って、足全体で着地する感じ。つま先、踵と拘るのではなく、ランニングフォームが大切である。
まずは足を開いて前に倒れこむ。そして倒れる寸前に足を出す。
この時、自分の顎や胸の下(胸は張っている)にちょうど足を付く感じ。
走るのはこの動作の連続である。こうした姿勢で足を着地させると、自ずと「ミッドフッド」か「フォアフッド(つま先)」になる。
この状態で踵着地(ヒールコンタクト)は無理がある。
なぜ踵着地のランニング・フォームが正しいとされてきたのか?
それは走り始める上で、最初はゆっくりと、歩くようなペースで走ろう、という考えが、歩く延長として捉えられ(実際に歩く時は、足を上体より先に前に出して踵から着地する)、それが正しいとされてきたからである。だからここではっきりと言っておく。歩く動作と走る動作はまったく違うのだ。
たしかに最初は歩く延長のような速さが望ましい。だがそのフォームはまったく別だ。
そこのところはきちんと理解すべきだ。
踵部分にクッションが必要ではない
ここまで説明すれば、踵部分にクッションが必要ではないことが理解できるだろう。たかだか10ミリの足底で衝撃はないのか?
そこがミッドフットやフォアフットの秘密である。
つまり踵には衝撃を吸収できる能力はないが、拇指球あたりで着地すると足のアーチ(土踏まず)がバネの役割をしてくれる。
そしてそのバネの力をアキレス腱に伝え、アキレス腱はフクラハギにそれを伝える。よってフォアフット、並びにミッドフット走法はフクラハギの筋肉が鍛えられる。
フクラハギこそ第二の心臓
ご存知のように古くから「足は第二の心臓」と言われているが、フクラハギこそ「第二の心臓」の役割を担っており、その筋収縮によって足に溜まった血液を心臓に戻すのだ。この動きによってヒールコンタクトで長距離を走った時には足の腿、つまり大腿四頭筋の筋肉痛を感じるが、フォアフット並びにミッドフット走法ではその痛みを感じることはない。
それに意識的に足を前に出すのではなく、前傾して、その際に倒れない為に足を出すので省エネ走法に繋がる。
ボクもフルマラソンを走った時もウルトラを走った時も、走った翌日、筋肉痛が少なかった。
アーチサポートに足裏を殴られている
さてここまで説明すれば、踵のクッションだけではなく、靴にまた余計な機能があることに気付くはずだ。さきほど足底のアーチのバネを使うと言ったが、ランニングシューズには付き物の、アーチサポートも必要がないのである。
実は「Born to Run」の著者は「足底筋膜炎」に悩んでいた。
この「足底筋膜炎」に悩むランナーは多く、ボクのランニング仲間にも数人いる。ランニング時に足裏に強い痛みを感じるのだ。
これは足の甲には舟状骨という骨があり、それが落ちることが原因で、いわゆる偏平足の予備軍なのである。
で、舟状骨が落ちた結果、足のアーチは低くなるが、アーチサポートはそれを無理に支えようとする。つまり着地の度にアーチサポートの部分で、足裏を毎回、殴られているようなモノなのだ。そりゃ痛いのは当たり前だ。
ワラーチで克服
「 Born to Run」の著者もワラーチを履いてそれを克服した。ボクのランニング仲間の一人も克服して、今では100キロを超えるトレランレースに何度も出場している。
つまり踵にたっぷりとクッションの入った靴は、ヒールコンタクトという悪いランニング・フォームを生み出し、さらには「オーバー・プロネーション」や「アンダー・プロネーション」と言われる、足首に負担のかかる旋回の癖も生み出す。そしてランニングシューズに付き物のアーチサポートは、健康なアーチを奪ってしまうのである。
健康なアーチを維持して怪我の予防
逆にワラーチを履いて走ると、まずはフクラハギの筋肉が発達して(決して筋肥大なない)下肢の血流の流れを良くする。次に健康なアーチを維持して、偏平足、並びに外反母趾の予防に繋がる。
そしてこれがもっとも大切なことなのだが、ランニングによる足首、膝、腰の怪我の予防にも繋がるのである。
ゆっくりと時間を掛けて
だがもっとも注意すべきは、ボクのようにこれまでずっと走り続けている人がワラーチで走る時だ。これまでとはまったく違う筋肉を使うので、ゆっくりと2ヶ月くらいの時間を掛けて、それまでに自分の日常で走って来た距離まで伸ばして欲しいのだ。
ボク自身も、普段は10キロから15キロほど日課として走っているのに、最初は5キロほどでフクラハギに痛みが出た。
それと写真でも詳しく解説しているが、正しいランニング・フォームを身に着けて欲しい。
速く走ることが目的ではない。「Born to Run」の著者と同じように、ランニングによる怪我や故障を失くすためのワラーチなのだ。
そこのところを十分に理解して欲しいのである。