すでにみんなと別れてまる二日経っていた。昨夜で食料も底をつき、今朝は粉ミルクを舐めただけだ。あとはグランテトラに残された500mlの水のみが、オレの胃袋に入れることのできる唯一のものだ。 太陽は容赦なく照り付け、ゴツゴツした石だらけで歩きにくい山道が、さらに足取りを重くさせる。どこを見ても人影はなく、ましてや人が住む気配のある景色は視界の中には存在しない。 果たしてオレの歩いている方向は正しいのか。だがそれ以上にオレは今どこにいるのか? まったく検討がつかなかった。 「どうしても先頭を行くチームの写真を撮りたい!」 一昨日の朝、スネーク・キャニオンを抜け、第3チェックポイントを通過後、オレは木下に申し入れた。ジョバール・アクダールの山岳地帯に入った我々日本チームと、先頭を行くトップチームには、その時点ではさほど差がなかった。 地図上で見れば、ジョバール・アクダールの最高地点から、標準の尾根伝いのコースを離れ、東に進路を取ればかなりの距離を稼ぐ
ことができる。だが急峻な崖を下ることになるので危険が伴うことも確かだ。主催者側から渡されたレギュレーションにおいても、ここは絶対に尾根伝いを迂回しろ、と明確に指示されている。しかしこの先どんどん差が開いてしまっては、レースが終わるまでに彼らの姿をカメラに収めることは不可能だろう。 第3チェックポイントで聞いたところによると、トップを行くチームはレースが始まってこの二日間、まったく眠らずに夜も行動していると言う。この先も一時間か二時間ほどの仮眠だけでレースを続けるらしい。さすがフランスのテロ対策チームと、消防署員が集まったチームだけのことはある。ギリギリの極限下でも、その体力とモチヴェーションを失わずにレースを展開しているのだ。 オレはレース終了後、主催者から配信されたフィルムではなく、たったワンショットでいい、レース中の彼らの姿を己の手で撮影したかった。 最初、木下は難色を示していたが、このレースの当初のいきさつを考えれば、オレの申し入れも仕方のないことと諦め、渋々ながらも譲歩した。 「よーし、それじゃあ別行動を取ろう。但し、第5チェックポイン
トには必ず来てくれ。田島さんも判っていると思うけど、このレースは5人一緒じゃなければ、チェックポイントの通過が認められない。遅れないでくれ」 ジョバール・アクダールの最高地点である第4チェックポイントを通過した一昨日の午後、約束通りオレはチームのみんなと別れた。別れ際に美子が粉ミルクの包みを渡してくれ、田村は自分の水筒から1リットルの貴重な水を分けてくれた。 「第5チェックポイントで会いましょう。くれぐれも気をつけてくださいね」と田村は笑顔を見せた。 堀内は木下と同様に、迷惑そうな表情しか投げかけなかった。 狙い通り、最高地点を過ぎてすぐの小さな鞍部を東の方向へ下って行くと、かなりの距離を稼ぐことができた。しかし殆どがエイト環を使用してのラッペリング(懸垂下降)で、ところどころでは空中懸垂下降となる危険な個所があった。主催者側の指示通り、これでは高度なクライミング技術がないと、事故の可能性が高くなる。オレのクライミング技術は大したことないが、ラッペリングの技術だけは自信があった。取材でスノウボードを背負ったまま凍てついた滝を降りたことや、空中に浮かぶ熱気球から下降した経験が生きたのだ。 その日の夜遅く、高度1300mほどの所にある洞窟に辿り付き、そこで夜を明かした。ざっと800mほどの高度を降りたことになる。洞窟の上方50mのところから、主催者側がセッティングした9ミリのロープが設置されており、ここを選手たちは降りてくるはずであった。 洞窟の奥で二時間ほど仮眠をしていると上方で物音がし、見上げるとトップロープが掛けられた壁のテラスで、トップチームが次々とラッペリングの準備をして降りてくる。 オレはニコンに24ミリのレンズを装着し、シャッター・チャンスを窺がった。その構図は自分のイメージ通り、広角に広がった洞窟の中心にロープが垂れ下がり、そこを空中懸垂で降りてくる選手たちを狙えるはずだ。 最初はフランス・テロ対策チーム「ヌーヴェル・カレドニ」のメンバーだった。どうやら消防署チームの「GIゴマース」を、昨日の内に引き離したようである。黄色いフリースのチーム・ジャケットを着たメンバーが、夜明けの洞窟の空間に浮かび上がるようにロープを伝って降りてくる。まったく足を付けていないのでその動きは緩やかで、絞りを開放にして、30分の1の速度でシャッターを切ったが、そんなにブレの心配はないだろう。できればストロボを焚きたかったが、もちろんそんなものは持ち合わせていない。チームの最後に下ったメンバーの写真は、バルブに開け放しておいて、洞窟の上から地上に降り立つまでそのままにしておいた。 彼らが去った後、30分もしない内に、二位のチームが下ってきた。やはり消防署チームの「GIゴマース」だった。オレは彼らの姿もカメラに収め、そこを立ち去ることにした。 ひとまずロープが掛けられた壁のテラスまで、ユマーリング(ユマールという特殊な器具を使い、ロープにギアを噛ませて登っていく技術)で登って行った。このユマーリングは、テクニックは大して必要ではないが、腕の筋肉に乳酸が溜まり非常に体力を消耗する。とくにからだを引き上げる際に、上腕二頭筋と前腕筋に負担をかけるので、終わった後は箸も持てないくらいに腕が震えるのだ。 なんとかテラスまで辿り付いたオレは、彼らが来た道を戻り始めた。みんなと会う約束をしている第5チェックポイントは、ここから20キロほど戻って、コースを迂回して行かなければならない。つまり先ほどの洞窟のラッペリング・ポイントは、第5チェックポイントを通過したチームのみが通ることになる。だからそこでみんなを待つわけにはいかないのだ。一旦来た道を戻るのはもったいない気がした。しかも迂回するコースがかなり複雑な地形である。 昨夜は一睡もしなかった。危険な個所はなかったし、夜通し歩いてもヘッドランプを使わないで月明かりで道が判別できた。だがみんなと早く会おうという意識が焦りに繋がってしまったのだろう。先ほど夜が明けきってから、完全にコースを見失ってしまったことに気がついた。 約束では明朝までに第5チェックポイントに到着しなければならない。そこから一気に洞窟をラッペリングで下れば、次のアシスタント・ポイントであるワディ・ハルファインには夜更けに到着できる、と木下は言っていた。 グランテトラのキャップを開け、水を一口含み、しばらくそのまま歩いた。そして5分ほどして惜しむように喉に流しこんだ。 オレは普段、夕食の時にはいつも酒を飲む。食事に合わせてワインから焼酎までなんでも来いだ。このレースを引きうけた時、レース期間中の10日間に、1滴の酒も飲めないことが不満であった。ところがレースが始まってみると、酒どころか水さえまともに飲めない。とくにここ3日間は、水をごくごくと喉を鳴らして飲むことさえ出来ないのだ。水を無制限に飲みたかった。冷たい水さえあれば、15キロを越えるバッグを背負って、食料がなくともあと二日は歩ける自信があった。いや冷たくなくてもいい、水が欲しかった。 時計を見た。13時を少し回ったところだ。よしあと二時間、15時には水を一口飲もう。普通だったらおやつの時間だ。水を一口くらい飲んでも許されるはずだ。だが誰が許してくれても、あと3口ほどの水で水筒は空になり、その後は手に入れる方法はない。誰が許そうと許すまいと、明朝まで水は飲めないのだ。それも明朝にみんなと会えると仮定してだ。 絶望の気持がバッグの重さ以上に全身に圧し掛かる。 いったいここまでして撮ったショットに、どれほどの意味があるのか? それにあの露出ではきちんと撮れていないかもしれない。やはり自分の行動に無理があったのではないか? そもそもレースを引き受けたこと自体が間違っていたのでは? 今日は確か12月の8日だ。日本ではきっとクリスマス気分に浮かれているだろう。円錐形の紙で出来た帽子を被ったサラリーマンが、ほろ酔い気分でネオンの町を歩く姿が思い浮かんだ。 チクショウ・・・クリスマスなんてクソクラエだ。 郷子の顔が浮かんだ。笑っていた。オマーンにやってくる飛行機
の中で、二人で大笑いした時の笑顔で笑っていた。 足元の鹿の糞を見つめた。鹿の糞には意味がない。だがそもそも動物の糞に意味があるのか? 意味はある。探すのはロバの糞だ。ロバの糞のそばには必ず人間の足跡がある。その足跡を辿って行けば、道となる手がかりが見つかるはずだ。 だがロバの糞はどこにもなかった。 西の空が赤く染まっていた。 時計を見ると18時を過ぎていた。あれっ・・・オレは15時に水を飲んだのか? どっちだっけ? 15時の後は17時に飲むつもりでいた。飲むのを忘れていたのか。それとも飲んだことを忘れたのか。もうどっちでも良かった。オレはグランテトラのキャップを開け、一気に水を飲み干そうとした。だが、1滴の水も口に入ってこなかった。 |