今年のレイド・ゴロワーズは、ライド・アンド・ランで始まった。これは各チームに馬が2頭与えられ、5人のうちの二人が馬で、残りの3人がランニングで、ワディと呼ばれる乾期には水のない川底を、36キロもの距離を走りぬくのだ。 田村と堀内は馬に乗ることが出来ない。木下と美子は乗馬の技術があると言うので、その二人は馬に乗り、オレ達3人は走ることになった。 午前7時。スタート地点であるラスタックの村にライフルの号砲が響き、100頭にも及ぶ馬と、150人ほどの人間が一斉にワディを走り出す様相は、それだけで興奮を呼び起こし、オレはスタートの号砲が聞こえたにも関わらず、しばらくシャッターを切っていた。 「田島さん早く!」 田村と堀内は号砲と共に走りだし、振りかえってオレのスタートを促す。オレはニコンのF3を、タスキ掛けにしたタムラックのウエスト・バッグに仕舞いこみ、彼らの後を追うように走りだした。 オレはまだ後悔していた。どうしてレース参加を引きうけたのだろう。確かにオレが参加しなければ、日本チームは出場が不可能で、今回の取材も成り立たない。しかしそれはオレのフォルトではない。そのことをきちんと内坂に説明すれば、判ってもらえたはずである。 しかし心の中のどこかで、このレースを実際に体験してみたい、という気持もあったことは確かである。先輩の桃井さんのような経験をしたかったのかもしれない。いや、それ以上に、自分の肉体の限界を知りたかったかもしれない。だが・・・このクソ重いカメラ機材を持って、彼らについていくことが可能なのか・・・それに木下の策略にはまったようで、そこのところも口惜しい。決してヤツの脅かしに負けたわけではないのだが。 今回の取材ではニコンのF3、ニコノス、それにフルオートのカメラの、3台のカメラを用意したが、選手として参加する上で、カメラを3台も持っていくのは到底不可能である。そこでオレはニコンのF3だけを持っていくことにした。もちろんモータードライヴは問題外だ。重い上に電池が切れると使い物にならない。しかしレンズだけは3本持参した。ニッコールの24ミリの広角と、35ミリから105ミリのズーム、それに200ミリの中望遠だ。それ以上の望遠レンズはとてもじゃないが携帯できる重さではない。今現在でもスペアのフィルムを併せて3キロほどの重さになっているのだ。 オレは息を切らしながらも、なんとか田村と堀内に追いついた。 「キロ・・どのくらいの・・・ペースで走るんだ?」 追いつき早々、二人に尋ねる。 「そうですね・・・キロ6分で走れば、少し休んでも11時までには第一チェック・ポイントに到着できるので・・・そのペースは守ろうと思っています」と田村は息を切らせながら答える。そして続けた。 「途中でボクもカメラ機材を持ちますから・・・」 今回のレース参加者の中で、この田村弘人が一番若くて28歳だと聞いた。堀内崇がそれより二つ上で30歳ちょうど。だが堀内は髭を蓄えているせいか、もう少し老けて見えた。 「OK! その時には頼むよ」とオレは田村に笑顔を見せた。本当は今すぐにでもカメラ機材を持って欲しかったが、レースは始まったばかりである。 馬の集団はすでに視界から消え、人間が走る集団のみが、広い水のない川底を走る。川底には大小の様々な石がごろごろと転がり、ちょっとした油断で足首を挫きかねない。このワディ・サハタンも雨季になると通常の川として水を充たすと聞くが、オレは満々と水を湛えた川の様子を想像してみた。遠くの川岸に椰子の木が見え、その水を湛えた川面はさぞかし美しいことだろう。もし水の豊かな川岸を郷子と一緒に歩いていたら、今ごろ口笛でも吹いているだろう。しかし今のオレは口笛の代わりに、心臓が飛び出しそうな口から苦しい息を吐き出している。それに郷子もここには居ない。 「もし良ければ、さっき木下さんが言っていた〔事故〕のことを話してくれませんか?・・・・疲れているのだったら、今じゃなくてもいいんですが、第3者の方から話を聞くより、田島さん本人から直接聞きたいと思って・・・」 オレは一昨日の夜のことを思い出した。 郷子はドアの前に立ち、いつものようにオレの目を覗きこむようにそう言ったのだった。なにもかも見透かすような不思議な目。同じような目をした女をオレはあの事故で・・・ 酒の力を借りても眠れそうにもなかったし、郷子の言うとおり、木下の口から事故のことが伝わるのも我慢できなかったので、すべてを話すことにした。郷子を部屋に通し、彼女はソファに、オレはベッドに腰掛け話し始めた。 話ながらオレは、極力言い訳がましくならないように気をつけた。少しでも言い訳をすると、自分のことがますます許せなくなると思ったのだ。 「そう・・・そんなことがあったんですか・・・気の毒に・・・」 すべてを話し終えると郷子はそう言って、またオレの顔をじっと見つめた。そしてまったく思いもかけない行動をした。 ソファから立ちあがると、ベッドの方にやってきて、オレの頭を額から後頭部にかけてそっと撫でたのだ。とても優しく・・・そしてそれ以上に優しく呟いた。 「可愛そうな人・・・あなたはどうすることも出来なかった。あなたに落ち度はなかったと思う・・・今の私にはそれしか言えないけど・・・」 ゆっくりと彼女を見上げた。 すると手をすっと引っ込め、その掌になにかがついているように眺めた。 「話してくれてありがとう・・・」 それだけ言うと、静かに部屋を出て行った。 オレは無力な子どものように、じっとベッドに座っていた。 だが、郷子の手の感触が残る頭から、苦しみがほんの少しだけ抜けていくような気がした。 走りながら物思いに耽っていたオレの頭上を、ものすごい爆音を発し、低空飛行で取材ヘリが飛び去って行き、その爆音によって現実に引き戻された。 マラリアの予防薬を飲んだ為に瞳孔が開いているせいなのか、それともアラビアの太陽が実際に眩しいのか、判然としないが、朝早くから太陽が容赦なく照りつける。これでは田村の言うように、午前11時までに第一チェックポイントであるワディ・バニ・アウフに到着しなければ、この暑さでからだが持たないだろう。もちろん通常のマラソン大会のようにエードステーションなどなく、水の補給は手にしたグランテトラの1リットルのボトルのみである。途中で川から水を補給しないと、とてもじゃないが最後まで走れそうにもないが、ワディ・サハタンは今のところ完全に乾ききっている。 どれくらい走ったのだろうか? 時間にして2時間半。キロ6分のペースは守っているので、おそらく20キロ以上は走ったと思う。いやそう思いたい。カメラの重さもかなりこたえてきた。 そろそろ田村にカメラ機材を持ってもらおうとした、その時、前方に人だかりができているのに気づいた。 その人だかりは、何人かの選手と地元のアラブ人で、なんだか騒がしい雰囲気に包まれている。オレと田村は顔を見合わせ、堀内と共に少しスピードを上げ、その集団に近づいていった。 よく見ると2頭の馬の手綱を木下が持ち、それを取り囲むように10人ほどの人がいる。 オレ達はその人の輪に入って行く。 いろいろな国の人間が口々になにかを訴えているが、オレにはどの国の言葉も理解できない。ただ木下の足元に人が倒れているのだけがすぐに判った。倒れている人物は血と土に汚れ、苦痛で顔を歪めていた。 それは益田美子だった。 |