---連載小説「湖底のかがり火」第11回---
 
「KKアド・ファーム」のオフィスから見える湖北山系の山々は、
うっすらと雪化粧を施し、その白い山々が静かな北麓湖に映し出さ
れていた。
 今朝の気温は随分と低く、氷点下10度を下回っていたが、まっ
たくの無風状態で、冷たい鏡のような湖は周りのすべての景色をそ
の内に収めていた。
 もう少し気温の低い日が続くと北麓湖も一部は結氷するが、ここ
数年は全面結氷に至るほどには気温は下がっていなかった。
 その昔は、冬になると結氷した北麓湖の上を、軽四輪のトラック
が走ったと云うが、やはり地球規模の暖冬の影響だろうか、今では
そんな寒さにはならないようだ。
 エンヤの透明な歌声がオフィスを充たし、桐山はデスクトップに
向かって、宮下が作成した「北麓湖関連」のファイルに目を通して
いた。
「おはようございます!」
 元気な掛け声と共に、輝海が出社して来た。
 そして部屋に入ってくるなり、いきなり手にした新聞を広げ始め
た。
「ボス! 今朝の新聞を見ました?」
 そう言いながら、桐山の前に新聞を差し出す。
「いや・・・今朝の雪のせいで、オレが家を出る時にはまだ新聞が
届いていなかったんだよ。なにしろオレの自宅は急な山道が続くん
でね。新聞屋のヤツ、なにかと理由をつけて配達が遅れるんだ」
桐山は輝海が差し出した地方版の記事に目をやった。
「ほらここ・・・」
 輝海は小さな記事を指差す。
 
--------------------------------------------
「漁業組合員が自殺」
 24日午前5時頃、北麓湖の漁業組合員で、北岸で貸しボート業
を営む梶原恭介(56歳)さん所有の、湖畔に置かれた納屋の中で、
梶原さんが首を吊っているのを、弟の信介さんが発見し、すぐに救
急車を呼んで病院に搬送したが、すでに死亡していた。
 弟の信介さんによると、特に日頃から悩んでいる様子はなかった
と言い、北麓署では自殺の詳しい動機を調べている。
--------------------------------------------
 
 桐山は記事から目を上げて輝海と顔を見合わせた。
 「今回の件となにか関係あると思います?」と輝海。
 桐山はもう一度新聞記事を読み返した。その記事を詳しく読めば、
その裏にある真相が読めるとでもばかりに、じっくりと記事に目を
通したが、そこからはなにも窺い知れなかった。
「ウーン・・・首吊り自殺と云う点と、漁協の組合員と云う点で、
宮下さんの件となんらかの繋がりを感じるが、それ以外は別になあ
・・・」
 そう言いながら桐山は新聞を閉じた。
「そうですよね・・・ただの偶然かなあ・・・」
 輝海はセンターテーブルの上に新聞を投げ出し、そのままキッチ
ンに行ってお湯を沸かし始めた。
 しばらくしてお湯が沸いてお茶を入れると、それを桐山のデスク
に持って行った。
 桐山は「有難う」と言ってお茶を受け取り、自分のデスクトップ
のパソコン画面を指し示して言った。
「それよりこの報告書を見てくれ」
 輝海がパソコンの画面を覗くと、北麓湖漁業組合の収支報告の数
字が並んでいた。
「この数字を見てくれ」
 桐山は漁協が稚魚を仕入れしているリストの中から、もっとも数
字の高いリストを指し示した。
「この金額は昨年、漁協がいろいろなところから仕入れを行った数
字だが、この2,480万と云う金額は、他のものと比較してずば抜け
て高額じゃないか?」
 桐山は画面をスクロールさせて、一昨年の収支報告のリストを映
し出した。
「ちょうどその前年の同じ時期、ほらここ・・・この時期にも同じ
業者から同じような額で仕入れを行っている」
 その報告書によると、北麓湖漁協では茨城県の霞ヶ浦にある業者
から、毎年、高額な仕入れを行っていた。
「北麓湖漁協は全国にネットを持っていて、漁協同士で稚魚や孵化
寸前の卵などを売買しているのだが、その数字は殆どが数百万で収
まっている。ところがこの霞ヶ浦の業者からは、定期的に、しかも
かなり高額な仕入れを行っている」
 桐山は椅子を回転させて、センターテーブルに腰掛けている輝海
に向き直って話を続けた。
「例の脅迫メイルのことで、柳沼さんにいろいろと調べて貰ったと
きに彼が言っていたが、この件は大きな組織が絡んでいることは間
違いない。そして一昨日のオレたちの拉致と脅迫。どう考えてもあ
の黒服の男は県外の人間だ。おそらく東京近郊から連れて来たんだ
ろう。そして甲州弁の小男・・・」
 桐山はそこでお茶を一口啜り、話を続けた。
「オレたちが役場にある宮下さんのパソコンを調べただけで、これ
だけの大掛かりな組織が動くことを考えれば、柳沼さんが言ってい
たように、オレたちは相当、厄介なハチの巣を突っついたに違いな
い。イヤ、誰か、後ろで糸を引く人間の掴まれたくない事実を、オ
レたちが掴もうとしている、と考えることができる」
「そしてそのことを掴めば、宮下さんの事件もとける、とボスは考
えているのですね」と輝海はあとの言葉を受け継いだ。
「そういうことだ。そしてその掴まれたくない事実には、間違いな
く大きな金か利権が絡んでいる、とオレは思う」
 桐山と輝海はしばらく顔を見合わせていたが、パソコンを再び操
作しながら言った。
「オレはもう少しいろいろな収支報告を調べてみるよ。それから今
週末って、オレのスケジュールはどうなっているんだっけ?」
 輝海はセンターテーブルの横の壁に貼ってあるカレンダーのとこ
ろに近づいて行き、予定表をチェックした。
「えーっと・・・土曜日は北黒岳の撮影が入っていますけど、日曜
日はなにも・・・」
「そうか・・・じゃあ日曜日に霞ヶ浦まで行ってくる」
 桐山はパソコンを操作しながら応えた。
 輝海はちらっと桐山の背中を見たが、それを予定表に書き入れた。
「えーっと、ここの漁協の住所は、茨城県新治群霞ヶ浦町牛渡って
ところだから、常磐自動車道の土浦北インターを降りれば一番近い
な」と桐山。
 予定表に書き込みを終えた輝海は桐山に向かって言った。
「ボス・・・私は日曜日にチビッコたちのヨット・スクールがある
ので一緒に行けないけど、向こうで無茶しないようにしてください
よ」
 桐山は輝海の方を振り返って応えた。
「あー判ってるって・・・オレも毎週のように誰かに頭をぶん殴ら
れたくないし、向こうで誰かに話を少し聞くだけだよ」
 そう言って桐山は笑った。そして相変わらずパソコンを操作しな
がら続けた。
「そう言えば町の観光パンフ、納品は今日じゃなかったっけ?」
「あー・・・そうですよ。たしか小林印刷が午前中には届けるって
・・・何時頃になるか、電話で聞いてみましょうか?」と輝海。
「あーそうしてくれ。もし可能なら午後にでも観光課に納品したい
と思う。あの渡辺のジジイは納品に遅れると、また値切りそうだし
・・・」
 それを聞いて輝海は笑った。
「あーヤダ! ヤダ! 早く電話しよう!」
 輝海が受話器を取り上げたと同時にインターホンが鳴り、輝海は
一端、受話器を置いて応対に出た。
 そして部屋に戻ってくると笑顔で言った。
「グッドタイミング! 今、小林印刷が納品に来ました」
 
 その日の午後、輝海と桐山は出来上がったパンフレットを持って、
観光課の渡辺のところに行った。
 結局は桐山たちのプレゼンテーションが通り、メインカットは富
士と湖、サブカットは樹海の写真で構成されたものだった。
「太古からの風のメッセージ・・・富士北麓」
 輝海が考え出したキャッチコピーがメインカットの写真のすぐ上
に踊り、その写真の下には輝海の書いた文章が続いていた。
「なかなかいいじゃんねえ」
 渡辺はパンフレットを一部取り上げながら言った。
 自分が最後までこだわった「富士山をバックに、女の子がラベン
ダーアイスクリームを舐めている」というアイデアは没になったが、
このように実際にパンフレットができ上がると、桐山のアイデアで
ある樹海のカットまで自分の手柄のように言った。
「この樹海の写真も良く撮れとるし・・・これで少しは樹海のイメ
ージも良くなるっチャケ」
 これも桐山が訴えていたことだ。
「じゃあ今月末に、請求書を回して貰うっツウコトンデ・・・」
 渡辺は請求書の件を話したら、あとはもう用がないとばかりに電
話を取り上げて、他の誰かと話し始めた。
 桐山と輝海は観光課をあとにした。
 
「まったく・・・あいつがあのパンフの価値を本当に理解している
とはとても思えないけど・・・」
 輝海はオフィスのドアを開けるなり、愚痴をこぼした。
「まあそうカッカするなって。結局はあのパンフを見た人が、良い
評価を下してくれればそれでいいんだよ。べつに渡辺のジジイに認
めて貰わなくたって・・・」と桐山。
「でも宮下さんだったら、もう少しは気の利いた誉め言葉を言って
くれたと思うけど・・・」と相変わらず輝海は膨れっ面だ。
「宮下さんと奴さんを比べること自体が間違いだよ」
「それは言えてますね・・・」
 そう輝海が言った時、オフィスの電話がなった。
 輝海が受話器を取り、「KKアド・ファームです」と元気に応えた。
 しかしその表情がみるみる険しくなり、眉間に皺を寄せながら言
った。
「しばらくお待ち下さい。今、桐山本人に代わります」
 輝海は電話を保留にすると、桐山に受話器を手渡しながら言った。
「今朝の新聞で出ていた・・・ほら昨日、自殺をした梶原恭介さん
の弟だって・・・」

 
<- つづく ->
 
BACK