旅の第二章。
海外でレースに出場した後、ちょっと寄り道してレースの余韻に浸るのが好きだ。
90年、91年にミネソタで開催されたレースに出場した後は、それぞれアリゾナとニューメキシコを旅したし、92年のオマーンの後はエーゲ海に浮かぶ島々を巡った。96年にフランスで開催されたレースの後は、プロバンスの小さな村々を訪れたものである。
ボクにとってはレースに出場すること以上に、その後の旅は特別な意味を持っている。
今回、レース関係者とはテキサスのエルパソで解散ということになっていた。その解散場所からさらに日本から遠ざかるのは、経費や時間を考慮に入れると些か無駄があるし、そこから東の土地へはあまり興味が湧かない。
24歳の時に初めて渡米した。
雑誌の取材だったが、ロスでレンタカーを借り、そこから東へとクルマを走らせる。
ラスヴェガス、グランドキャニオン、モニュメントバレーと旅は続き、キャニオン・デ・シェリー、ギャロップと経由して最終目的地であるニューメキシコ州のサンタフェに、約10日間掛けて辿り着いた。
サタフェは政令によって街の景観が統一されている。
建造物はスパニッシュ・コロニアルかプエブロ・スタイル。壁はサンドベージュで、窓とかドアはすべてターコイス・ブルー。そこに大きな唐辛子が魔除けに飾られている。街にはその3色しかないと言っても過言ではないほど統一され、まるで宝石のように美しい街だ。
フェニックスで宿泊した宿も典型的なサウスウエスト・スタイル
その美しさに魅了され、自宅を建てる時にはサンタフェ・スタイルにするほど拘った。しかし美しいのは街だけではなかった。そこに至るすべての道、砂漠、渓谷、森林、川、大地と言った自然が美しかった。
「刷り込み」とは恐ろしいモノで、初めて行ったこのアメリカの経験から、自分にとってアメリカ=サウスウエストという方程式が出来上がってしまった。特にアリゾナ、ユタ、コロラド、ニューメキシコの4つの州を旅するのが好きだ。
今回もあれこれ悩んだ。ユタをじっくりと旅したい気持ちが強かったが、時期的にはかなりの寒さである。別に寒いのは構わないが、メキシコの夏装備と、本格的な冬装備の両方の荷物を持って行くのは面倒だ。なるべくなら夏装備+αくらいの装備で旅したい。
以上のようなことを考慮に入れ、まずはアリゾナのフェニックスに飛ぶことにした。ここなら真冬でも半袖で過ごせるほど暖かい。
まずはフェニックスでレンタカーを借りる。そこから北上してセドナ、さらに北上してグランドキャニオン、グランドキャニオンから東に進路を変えてキャニオン・デ・シェリー、そしてそこから一気にロスまでクルマを走らせる。という計画を立てた。
もっとも長い日で、一日に600キロ近く、クルマを走らせなければならない時もあるが、河口湖と大阪をなんどもクルマで往来していることを考えれば、それほど苦にはならないだろう。なんと言ってもサウスウエストを走っていると、その景観に飽きることはない。
フェニックスのハードミュージアムは、ネイティブ・アメリカンの文化を中心に常時展示している
この計画をロスで長く暮らしている友だちに話したら、「じゃあセドナで会おう」ということになり、さらにフェニックスでジョージア・オキーフの絵画展が開催中だとの情報も貰った。
ジョージア・オキーフは晩年、サンタフェ郊外の牧場に移り住み、サウスウエストの自然を描き続けた女流画家で、ボクのもっとも好きな画家である。
ところが実際に開催しているはずの「ハードミュージアム」に行ってみると、なんと! 先週の月曜日で終わってしまっていたのだった...
残念ながら終わっていました!
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