モンスターカレンダー

« 2014年4月 »
123456789101112131415161718192021222324252627282930

2014年4月アーカイブ

R0036622.jpg

 キャニオン・デ・シェリーを後にして、LAまでの長いドライブが始まる。

 まずは州道191号線を南下し、インターステイト40号に入る。あとは西に向かって延々と走るだけだ。が、距離にすると約1000キロ以上あるので、途中、どこかで一泊しなければならない。とは言っても、適度な距離で休むとなるとあまり選択肢はなく、とりあえずアリゾナ州の西端の街「キングマン」を目指した。

 結局、キャニオン・デ・シェリーを出発したのが11時頃で、途中、ウィンズローでランチと給油を済ませ、18時頃にキングマンに到着した。このキングマンは「ルート66」上にあり、かつては交通の要衛であったと聞くが、今ではちょっと寂れた感が否めない。だがそれまで延々と不毛の大地をドライブした者にとっては、オアシスさながらに一時の安らぎを得ることが出来た。

R0036645.jpg

 キングマンで早朝のランニングを済ませ、モーテルの簡易的な朝食の後、再び、長いドライブを続ける。しばらく走るとアリゾナとカリフォルニアの州境を超えるが、そこからまた不毛の大地が続く。

 モハベ砂漠をかすめ、バーストウでようやく都会の気配を感じ、アローヘッドやビッグベアを抜けて走り続ける。

           今回の旅の友、クライスラーの「Jeep」。長い距離をよく走ってくれました。

R0036596.jpg

 15時過ぎに、ようやくハイウエイを下りてPCH(パシフィック・コースト・ハイウエイ)に入る。上半身ハダカでジョギングをする若者、ビーチクルーザーにサーフボードを積んで走るサーファーガールなど、これまでのアリゾナの地では決して見かけることがないような人々が車窓を流れる。

R0036764.jpg

 そして翌朝には、自分もそれらのサウスベイの景色の一部となって、朝のビーチランを愉しむ予定だ。旅の締めくくりはレドンドビーチからハーモッサビーチのランニング。世界でもっとも好きなランニングコースの一部だ。

 セドナで会うことが出来なかった友人ともロスでゆっくりと過ごし、他にも懐かしい友人にも会った。

 約3週間前にエルパソに着いた時には、これから長い旅が始めるのだ、と強く感じたが、帰国の日を迎えると、後ろ髪惹かれる想いが募る。まあどのような旅でも感じることは同じだ。

R0036719.jpg

 帰国してすぐに、娘がベン・ステイラー主演の映画「Life!」を観ることを勧めてくれた。凡庸な生活を送る主人公が一念発起、冒険の旅に出るというストリーだが、その映画の中であの雑誌「LIFE」の社訓が紹介されていた。

そのスローガンは今回の旅で感じたことを、端的にすべて言い顕していた。

To see the world, 

things dangerous to come to, 

to see behind walls, 

to draw closer, 

to find each other 

and to feel. 

That is the purpose of life.


世界を見よう

たとえ危険が伴おうとも

壁の向こうに隠れているものを見て

近くに引き寄せよう

お互いをよく理解し

感じること

それこそが人生の目的


 





ネイティブ・アメリカンの聖地へ5

| コメント(0)
           キャニオン・デ・シェリーの中でももっとも有名な「スパイダーロック」

R0036411.jpg

 24歳の時に初めて雑誌の取材で渡米したことはすでに言った。

 ロスでレンタカーを借り、ラスベガス、グランドキャニオン、モニュメントバレー、キャニオン・デ・シェリー、ギャロップと巡り、最終目的地のサンタフェまで、10日間掛けて行った。

 ラスベガスを出てグランドキャニオンまでは観光気分で良かった。が、モニュメントバレーに着く頃には、些か、ホームシックに掛かり始めていた。なにしろ自然のスケールが大きい。それにその表情が荒々しい。ここに居て日本の自然を顧みると、日本の自然は実に優しいのだ。

 それぞれの場所の宿で過ごしているとそんなには感じないのだが、移動の為にクルマを走らせると、その雄大さに押し潰されるような錯覚に陥る。とくにキャニオン・デ・シェリーへと向かう道中の景色には圧倒されてしまった。

R0036468.jpg

 もちろん旅には勝負は存在しない。だが気分的に白状すると、ボクは完全にその旅に「敗北」していた。すでに「愉しむ」というレベルを超えていた。雑誌の取材ということもあり、自分でも気付かないプレッシャーもあったのかもしれない。

 そんな精神状態の中、キャニオン・デ・シェリーで見た「スパイダーロック」の光景が、いつまでもココロの奥底に残った。そしてそこで暮らすネイティブの人々を見て、自分の中の「アメリカ」というイメージが大きく変わった。自分にとって、それまでの「アメリカ」は白人社会のアメリカだった。いやもちろんアフロ・アメリカンの人々の存在も理解していたし、ヒスパニック系の人々もその理解の中にあった。が、ネイティブの人々の存在は頭で分かっていても、その実態がどうも把握できなかった。

 確かにボクはその旅に「敗北」したかもしれない。だがその旅はボクを大きく成長させたことも確かだった。

R0036392.jpg

 そのキャニオン・デ・シェリーを約30年ぶりに訪れることになったが、そこは30年前と、まったくと言っていいほど変わっていなかった。そこに吹く風、香り、色、光...すべてがそのままだった。

 前回来た時には「スパイダーロック」を見下ろすだけだったが、今回は「ホワイトハウス・オーバーロック」のトレイルを下りて歩いてみた。ガイドなしで自分たちだけで下りることのできるトレイルはここだけである。

R0036424.jpg

 リムの淵に立った時には強い風が吹いていたが、一歩、トレイルを下り始めると、その風も止み、完全なる静けさが辺りを支配した。朝陽を浴びて渓谷は黄金色に輝き、渓谷の底を流れる小川が平和で牧歌的な表情を醸し出していた。

 30年前に来た時、そこはまったくの異国の地であったが、今回は不思議と、とても優しい懐かしさに包まれるような気がした。

R0036587.jpg





ネイティブ・アメリカンの聖地へ4

| コメント(0)

R0036028.jpg

 結局、ロス在住の友人とはセドナで会うことが出来ずに、後日、ロスで会うことになった。が、早朝のセドナの山の中で、思いがけない人に会った。あまりにも有名な人なので、ここでは名前を伏せるが、ロスの友人に言わせると、セドナはどうもそういう場所みたいである。そこがヴォルテックス・ポイントと云われる所以なのだろう。

 あと10日間くらいはセドナで過ごしたかったが、時間的制限もあり先を急ぐ。次の目的地はグランドキャニオンだ。セドナ、グランドキャニオン間の距離は僅か100マイルほど。ここまで来て素通りすることもないだろう。

R0036067.jpg R0036199.jpg

 これまでにグランドキャニオンは2度訪れている。2度めは渓谷の底近くまで歩いて下りて行ったこともあり、凡そ、その景観は頭の中に入っている。そして2度の訪問経験から、グランドキャニオンがもっとも美しいのは夜明けの時間か夕暮れの時間だということも知っている。あの悠久なる時を掛けて出来上がった渓谷は、斜光を浴びる時にその姿をもっとも繊細に輝かせる。だから夕暮れの時間に到着して、夜明けだけを見て、次の目的地に移動しようと考えていた。

 メキシコの旅を共にしたルカとテレンスは、ボクがセドナでのんびりと過ごしている間に、一足先にこのグランドキャニオンを訪れ、サウスリムからノースリムまで往復したらしい。距離にして約80キロ、標高差約2000メートル。約12時間半掛けたという。ホントにタフな奴らだ。

R0036281.jpg

 さきほど「これまでにグランドキャニオンは2度訪れている」とは言ったが、やはり実際に来てみると、またまたそのスケールの大きさに驚愕する。自然のスケールがあまりにも大きいと、「まるで別の惑星に来たみたいだ」と感じることが多いが、まさにここは別の惑星だ。どうしてこのような大渓谷が出来上がったのか? どれくらいの歳月が掛かったのか? ここでどのようなドラマが起こったのか? 夜空を見上げ、宇宙に想いを馳せる時、人はあまりにも壮大なドラマに我が身の小ささを認識するが、ここまた、同様の気分に陥る。そういう意味に於いても別の惑星規模なのである。

R0036278.jpg

 我が冨士山は昔から「一度も登らぬバカ、二度登るバカ」と言われている。そう云われる所以が山容などの自然だけのものなのか? それともその環境を育む人々の責任なのか? その意味はここグランドキャニオンを訪れると良く理解できると思う。

 で、グランドキャニオンは?

 可能であれば、何度でも訪れたい場所である。

          山火事を未然に防ぐために、その日の乾燥状態を示す看板。その番を務めるのはスモーキーベア。           が、ちょっと我が国の「ユルキャラ」とは一線を画する。

R0036313.jpg




ネイティブ・アメリカンの聖地へ3

| コメント(0)

R0035487.jpeg

 セドナに到着した翌日はエアポート・ループを走ることにした。

 セドナには無数のトレイルがあり、その総延長距離は200マイル(320キロ)にも及ぶ。人気のトレイルは予約制になっており、ビジターセンターに行けば、翌日のトレイルの予約状況が解かる。で、空いていれば3ドルほど払えば、そのトレイルの取り付きにある駐車場が利用でき、そこにクルマを停めて、一日、ハイキングやトレイルランが愉しめる。

R0035461.jpeg

 我々の宿はエアポート・ループの途上にあるので、部屋の庭からそのままトレイルに入る。この約6キロほどのループを一周すると、セドナを取り囲むレッドロックを360度のパノラマで堪能できるのだ。が、6キロという距離はいくら山道でも短すぎるので、ついでにテーブルトップ・トレイルも走ることにした。

R0035805.jpg

 午前中にセドナの美しいトレイルを満喫し、午後からセドナの街を散策する。さすがリゾート地だけあって、お洒落なレストランやギフト・ショップが軒を連ねるが、我々のお気に入りは「ニューフロンティア・マーケット」

R0035279.jpeg

 ここはオーガニック系の食材やデリを扱うマーケットで、チェーン展開している「ホールフード・マーケット」をこじんまりとさせた感じである。この「ニューフロンティア・マーケット」のデリでお惣菜を購入する。今夕は部屋の庭でデリを食べながら夕暮れを過ごすつもりだ。

 普段、ボクはあまりビールを呑まない。だがアメリカに来るといろいろな種類のペールエールを呑むことを愉しみにしている。ドイツ人の中には「エールはビールじゃない」と言う人もいるそうだが、ボクはあのとろっとした呑み心地が好きだ。 「ニューフロンティア・マーケット」ではアルコール類を扱っていないので、近所の「セイフウエイ」で「グランドキャニオン」というブランドを発見して、その「サンセット・アンバー」(なんと素敵なネーミングなんだ)というエールの6本セットを購入。ワインも2本、購入したが、会員になると割引があるというので会員になった。(が、その後、まったくメンバーズカードを使わずに帰国した。まあ無料だからいいが)

R0035860.jpg

 セドナの街にはどういう訳か「スリフトショップ」(中古品販売)の店が多く、アウトドア専門の「スリフトショップ」を発見。そこでアークテリクスのファニーパックを13ドルで手に入れた。

 幸運なことに今日も抜けるような晴天に恵まれた。夕暮れ時にはレッドロックも街も黄金色に染まり、時間が経つにつれて青い空が紫色に変化する。

 宿に戻って庭でエールを啜っていたら、どこからかギターの音色が流れてきた。

R0035936.jpg




ネイティブ・アメリカンの聖地へ2

| コメント(0)

R0035250.jpeg

 フェニックスの宿で久しぶりにコインランドリーを使って洗濯をする。メキシコではずっとシャワーを浴びる時に下着類などの軽い衣服を一緒に洗い、それを室内で乾かしていたが、溜まりに溜まった洗濯物をきちんとした洗濯機で洗い、きちんとした乾燥機で充分に乾かした。まあ持ってきている衣服のほとんどが速乾性に優れたアウトドアモノなので、室内でも充分に乾くのだが、やはり乾燥機に入れるとなんとなく気持ちい。ちなみにアリゾナを旅している間、コインランドリーのあるモーテルではこまめに洗濯したが、どこでも一回の料金が乾燥機と併せて300円足らず。長い旅を続ける者にとって、これは有難い価格設定である。

 残念ながらジョージア・オキーフの絵画を鑑賞することは出来なかったが、フェニックスの「REI」に寄って、今後の旅に必要なモノを買い揃える。

 シングルストーブ用のガス・カートリッジ、来る時に空港で没収されたポケットナイフ、それに帰国してからも使えるマグやトレイ等など。すでに同じのを持っているモノもあれば、新たに試してみるモノもある。

 衣服、道具、カラダ、ココロなど、フェニックスですべてを一旦リセットしてから、セドナに向けて出発する。

R0035261.jpeg

 フェニックスからセドナまでは、インターステイト(州間道路)17号を北上して、途中、州道179号を西に折れる。距離にして約130マイル(約200キロ)、時間にして2時間ほどの距離である。

 googleで「サボテン」と画像検索すると、きっとこのようなサボテンが出て来るのだろうな、というような典型的なサボテンが立ち並ぶ山間部を一時間ほど走ると、やがてサボテンや樹木が途切れ、遙かなる荒野が見えて来る。そしたら17号を下りて179号へと入る。179号に入って北東方面に進むと、レッドロックの塊が見えて来て、それがどんどんと近づいてくるとセドナの街も近い。

 このドライブは感動的だ。もしもセドナにクルマで行くことがあれば、夜ではなく昼間に到着することをお勧めする。セドナの街が近づいてくると、きっと何度も歓声を挙げるはずである。

R0035269.jpeg

 セドナには観光飛行用の小さな空港があるが、その空港の傍にある「スカイランチ・ロッジ」がセドナでの宿。その名前の通り、宿からはセドナの街が見下ろすことができ、荘厳なる「キャピトル・ビュート」が眼前に鎮座する。夕暮れになると宿泊者たちはワイン片手にテラスに集まり、キャピトルビュートに輝く夕陽を眺めながら、撮影をしたり会話を楽しんでいる。

R0035323.jpeg

 以前、オーストラリアのシドニーで夕陽が綺麗に見える岬に行った時のこと、夕暮れになると地元の人たちがテーブルと椅子を持って集まってくる。で、ベスポジを決めたらそこにテーブルを拡げる。もちろんテーブルクロスを掛けることも忘れない。そしてシャンパンを開けて沈み行く夕陽を眺める。夕陽が沈みきったら、テーブルと椅子を片付け、「さあディナーに行こう」と言って立ち去っていく。

 シャンパンやワイン片手に、自然が魅せてくれるもっとも美しい時間を切り取ってココロに刻み、その余韻を噛み締めながらのディナー。

 人生とはなにか? それを知り尽くした大人の過ごし方である。

R0035327.jpeg




ネイティブ・アメリカンの聖地へ1

| コメント(0)

R0035229.jpg

 旅の第二章。

 海外でレースに出場した後、ちょっと寄り道してレースの余韻に浸るのが好きだ。

 90年、91年にミネソタで開催されたレースに出場した後は、それぞれアリゾナとニューメキシコを旅したし、92年のオマーンの後はエーゲ海に浮かぶ島々を巡った。96年にフランスで開催されたレースの後は、プロバンスの小さな村々を訪れたものである。

 ボクにとってはレースに出場すること以上に、その後の旅は特別な意味を持っている。

 今回、レース関係者とはテキサスのエルパソで解散ということになっていた。その解散場所からさらに日本から遠ざかるのは、経費や時間を考慮に入れると些か無駄があるし、そこから東の土地へはあまり興味が湧かない。

 24歳の時に初めて渡米した。

 雑誌の取材だったが、ロスでレンタカーを借り、そこから東へとクルマを走らせる。

 ラスヴェガス、グランドキャニオン、モニュメントバレーと旅は続き、キャニオン・デ・シェリー、ギャロップと経由して最終目的地であるニューメキシコ州のサンタフェに、約10日間掛けて辿り着いた。

 サタフェは政令によって街の景観が統一されている。

 建造物はスパニッシュ・コロニアルかプエブロ・スタイル。壁はサンドベージュで、窓とかドアはすべてターコイス・ブルー。そこに大きな唐辛子が魔除けに飾られている。街にはその3色しかないと言っても過言ではないほど統一され、まるで宝石のように美しい街だ。

             フェニックスで宿泊した宿も典型的なサウスウエスト・スタイル

R0035232.jpg

 その美しさに魅了され、自宅を建てる時にはサンタフェ・スタイルにするほど拘った。しかし美しいのは街だけではなかった。そこに至るすべての道、砂漠、渓谷、森林、川、大地と言った自然が美しかった。

 「刷り込み」とは恐ろしいモノで、初めて行ったこのアメリカの経験から、自分にとってアメリカ=サウスウエストという方程式が出来上がってしまった。特にアリゾナ、ユタ、コロラド、ニューメキシコの4つの州を旅するのが好きだ。

 今回もあれこれ悩んだ。ユタをじっくりと旅したい気持ちが強かったが、時期的にはかなりの寒さである。別に寒いのは構わないが、メキシコの夏装備と、本格的な冬装備の両方の荷物を持って行くのは面倒だ。なるべくなら夏装備+αくらいの装備で旅したい。

 以上のようなことを考慮に入れ、まずはアリゾナのフェニックスに飛ぶことにした。ここなら真冬でも半袖で過ごせるほど暖かい。

 まずはフェニックスでレンタカーを借りる。そこから北上してセドナ、さらに北上してグランドキャニオン、グランドキャニオンから東に進路を変えてキャニオン・デ・シェリー、そしてそこから一気にロスまでクルマを走らせる。という計画を立てた。

 もっとも長い日で、一日に600キロ近く、クルマを走らせなければならない時もあるが、河口湖と大阪をなんどもクルマで往来していることを考えれば、それほど苦にはならないだろう。なんと言ってもサウスウエストを走っていると、その景観に飽きることはない。

      フェニックスのハードミュージアムは、ネイティブ・アメリカンの文化を中心に常時展示している

R0035211.jpg

 この計画をロスで長く暮らしている友だちに話したら、「じゃあセドナで会おう」ということになり、さらにフェニックスでジョージア・オキーフの絵画展が開催中だとの情報も貰った。

 ジョージア・オキーフは晩年、サンタフェ郊外の牧場に移り住み、サウスウエストの自然を描き続けた女流画家で、ボクのもっとも好きな画家である。

 ところが実際に開催しているはずの「ハードミュージアム」に行ってみると、なんと! 先週の月曜日で終わってしまっていたのだった...

                    残念ながら終わっていました!

R0035219.jpg






MT42BlogBetaInner

    木村東吉
    1958 年大阪生まれ。
    20代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍したが、その後、30 代に入りアウトドア関連の著作を多数執筆。
    現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、講演など、幅広く活動している。
    また各企業の広告などにも数多く出演しており、そのアドバイザーも務めている。

    詳しいプロフィールはこちら

    木村東吉公式サイト「グレートアウトドア」

月別 アーカイブ

    問い合わせ greatescape
v

    木村東吉「メールマガジン」登録

    meidive
TOYOTA
sanyo-shokai
MovableType(MT)テンプレート 無料(フリー)
Powered by Movable Type 4.261

最近のコメント