セロカウイの村外れに建つディエゴの宿で宿泊した翌朝、弘樹の提案で宿を見下ろすように林立する岩峰に登ろうということになった。こちらに来てからも、毎朝、ランを欠かさないようにしているが、たまにはこういうトレーニングも楽しい。
さっそく我々は登り始めた。ところが弘樹の記憶も曖昧で、しかも牛が勝手にどこかに行かないように、至る所に鉄条網が張り巡らしてあり、なかなか岩峰の頂上に辿り着かない。1時間ほど過ぎて、諦めて下山しかけた時、ようやく頂上までの道が見付かった。それがこの眺め。我々の宿泊しているコテージが真下に見える。
で、これが降りてきてからの眺め。
ちなみにディエゴが経営する宿の名前は「Hotel Paraiso del Oso」で、「Oso」というのはスペイン語で「熊」という意味。この写真に映っている岩峰の右側を良く見て欲しい。熊が右側を向いて立っているように見える。こういう名前を冠するところが、なんとも洒落ているではないか。
コテージの各部屋には薪ストーブがあり、柔らかな暖かさに包まれ、久しぶりにのんびりと過ごす。
今日の午後はセロカウイにあるララムリの子どもたちの寄宿学校を訪ねる予定だ。エルパソを出発する時、ディエゴは我々を「100均ショップ」に連れて行った。そこで「ほんのささやかな気持ちでいいから」と、この寄宿学校で暮らすララムリの子どもたちに、玩具を買ってやって欲しい、と告げた。今日はその玩具を持って子どもたちを訪ねるのだ。
ディエゴはララムリの人々、特に子どもたちの生活環境の向上に繋がる活動を続けており、今回の訪問もその一環である。このシリーズの冒頭で、ディエゴのことを「今回の旅のガイド兼運転手」と言ったが、それを務めるのは決してビジネスの為だけではなく、このような尊い活動の一環でもあるのだ。遠く日本からやって来て、ララムリの人々と共に走るレースに参加する。その日、一日、走る為だけにこの地にやって来たのなら、きっとこの旅は自分にとって、もっと薄っぺらなモノになっただろう。しかしこうやってディエゴの案内で、メキシコ、そこにある自然や食事、そしてララムリの人々の置かれている環境などを、じっくりと時間を掛けて体験していくと、そこにあるのは「ワラーチ」や「レース」だけではないことに気付く。
人生はいつも自分が予想していたことと、少し軌道を外しながら進んでいく。その軌道上に思いがけない出来事が起こり、またその軌道が角度を付けて違う方向に進んで行く。だからこそ人生は面白い。予定していた飛行機に乗り遅れた瞬間から、その旅は本当の意味を持ち始める。
今まさに、その旅の真っ只中にいるのだ。
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