レース前々日の金曜日。今日も朝からコース下見があった。今日はノースループの下見だったが、弘樹が「もうレース二日前だし、ゆっくりと休んだほうがいい」とアドバイスしてくれたので、宿でのんびりと過ごすことに。
部屋の外に椅子を出して本を読んでいると、今回、我々に宿を提供してくれた民家の主の孫娘の女の子が、庭に置かれた重機の陰から、こちらの様子を諜っている。拙いスペイン語で呼び掛けると、ニコニコしながら重機の陰から顔を見せたり隠したりする。
お土産に持って来た玩具類はすべてセロカウイの寄宿舎に置いて来たし、なにかないかなあ・・・と考えあぐねた結果、旅の予定表を印刷したA4用紙の不必要なページで紙飛行機を作ることにした。
で、最初はボク一人で紙飛行機を飛ばしていたが、そのうちに少女が仲間入りした。少女の名前はエマちゃんで5歳だとか。寄宿舎に於いてもそうだったが、この辺りの子どもたちは、シャボン玉やゴム風船、折り紙といった単純な玩具でいつまでも遊ぶ。我々が幼いころも、そういう玩具しかなかったが、現代日本人の子どもたちが持つ玩具は、もっと複雑で高価だ。
単純=工夫する、複雑=マニュアル通り。
これは玩具に限らず、人が接する道具のすべてに当て嵌る方程式だと思うが、この地に居ると、いろいろなことが懐かしく感じられる。
単純な玩具、整備されていない原っぱ、包装されていない食べ物、痩せた野良犬、純真な子どもたち、自由に闊歩する鶏、そして青い空と白い雲。
おそらくエマちゃんにとっては日本人はおろか、アジア人でさえ初めて接する機会だったかもしれない。
夕食は、この一週間だけ開店するディエゴのレストランに行った。(どれだけ働くんだよ!)そこで食事をしていると、現地人のような男がカホの横に座った。食事もしなければ飲物を呑む風でもない。ただじっと座っている。
20分ほど経過しただろうか。彼の正面に座っていた弘樹が目を丸くして叫んだ。
「ミゲル・ララか?」
彼は微かに微笑んで頷く。そしてぼそっと呟いた。
「エル・ドラゴン...」
弘樹がその場に居た皆に説明する。
「彼は昨年と一昨年、2年連続優勝したミゲル・ララで、今年の優勝候補の一人です」
そして立ち上がってミゲルと握手をした。
これがアメリカから来た有名な選手だったら、きっとレストランに入った来た途端に弘樹を認め、「元気か!」と叫びながらハグするに違いなだろう。ところがこのララムリの青年は、自分自身のことを弘樹が気付くまで、じっと黙って座っていたのだ。これがララムリの人々のある種の本質であり、現代に於いても彼らが山の奥深くにひっそりと暮らしている所以だと思われる。
右から3人目がミゲル・ララ。弘樹を挟んで右端がマネージャーらしいが、悪いけど、なんだか怪しい。
エマちゃん、ミゲル・ララ、そしてこの地に暮らす人々は、現代の日本人がどこかに忘れてしまった「何か」を、未だにずっと大切に持ち続けている。仮に物質的に恵まれていなくても、それらはずっと人間らしい控えめな優しさを含んでいるのだ。
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