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2013年1月アーカイブ

「感動」についての様々な考察

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 先週末、待望の「レ・ミゼラブル」を鑑賞した。

 実はミュージカルがあまり好きじゃないので、この映画の鑑賞も迷っていたが、1997年公開、リーアム・ニーソン主演、ビレ・アウグスト監督による「レ・ミゼラブル」を鑑賞したら、とても面白かったので、最新作のミュージカル版が観たくなった。それにヒュー・ジャックマン主演、アン・ハサウェイ、ラッセル・クロウとキャストも豪華である。予告編を観て、益々、盛り上がる。

 が、残念ながら作品全体としてはイマイチだった。

 すでに観た人の感想を聞いたり読んだりしていたので、その期待感が多すぎたかもしれないが、リーアム・ニーソン版がよくできていただけに、ちょっと期待はずれだった。

 なにが期待はずれだったのか?

 それを説明する前に、映画になにを求めるのか? ということを考えてみたいと思う。

 もちろん多くの人は映画に感動を求めるだろう。ストリー展開、時代背景、セリフ、演技、音楽、特撮など、あらゆる部分に於いて映画は我々に感動を与えてくれる。

 で、その感動が物語の複雑に絡む糸から得るのが好きなのか? あるいはひとつのシーンが好きなのか? によっても好みが違ってくるだろう。

 具体的に言えば、リーアム・ニーソン主演の「レ・ミゼラブル」はヴィクトル・ユーゴーの原作に沿った仕上がりで、(とは言っても、西洋的キリスト教価値観の押し付けであることには違いないのだが)かつては「悪」であった主人公が、人の愛によって「善」に目覚めていく心理的描写を細かく描いている。さらには主人公を執拗に追い詰めるジャベール警部の心理描写が最後の最後まで巧みだ。

 だが最新のミュージカル版では、その辺りの心理描写が粗い。いや「粗い」という表現は語弊があるかもしれない。ミュージカルそのものが、歌に演じる者の心理を込めているので、観る側はそこから細かい心理を汲み取らなければならないと思う。

 そういう意味ではアン・ハサウェイが歌う「夢破れて」のシーンでは感動し、落涙した。が、そこまでである。期待のアマンダ・セイフライドは消化不良で、ヒュー・ジャックマンに於いては、どの歌にも感動できなかった。それにそもそも、セリフのすべてを歌に乗せる演出はどうなのか?

 冒頭でミュージカルがあまり好きじゃないと言った。が、冷静に思い返せば、「オペラ座の怪人」「ムーラン・ルージュ」「ドリームガール」と、結構、好きなミュージカルも多い。が、それらはすべてのセリフを歌に被せてはなかった。その演出で最初からシラケてしまったのは事実である。

 最新作の監督を務めたのは「英国王のスピーチ」でオスカーを獲得したトム・フーパーだが、今回の作品に関してはその辺りの演出はどうなのか?

 まあ、そうは言っても、感動は様々である。

 スポーツのように、前後の背景がなくても一瞬で大きな感動に包まれる瞬間もあれば、何日も一冊の本を読み続け、最後の一行で涙する感動もある。

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 ところで今回のミュージカル版「レ・ミゼラブル」は我が次男も一緒に鑑賞した。先日、彼が成人式に出席するために帰郷した際に、一緒にリーアム・ニーソン版を鑑賞して、「それじゃあミュージカルの最新版も観に行こう」ということになり、次男はわざわざ東京から戻ってきて一緒に鑑賞したのであった。

 で、我が次男もだいたいボクと同じような感想みたいだったが、映画の帰り道、甲府から河口湖に戻る峠道で、次男のお勧めの夜景スポットに連れて行ってくれた。

 親と映画を一緒に観るためにわざわざ東京から帰郷し、その映画の帰りに、自分のお気に入りの場所に連れて行ってくれる。ある意味、映画そのものより、次男のその行為に感動を覚えたのだが、今回の映画は「感動」というキーワードを、いろいろな角度から考えさせられた作品でもあった。

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スイカズラの花のように

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 冬至が過ぎ去り、少しずつ陽が伸びてきているとは言え、1月中旬から2月中旬までの一ヶ月間は、もっとも気温が低い時期である。

 今年は雪も少なく、除雪作業が必要な纏まった雪は年末に降っただけ。それも翌日に降った暖かい雨によって融けてなくなり、毎朝の山のランもスパイクなしで走ることが可能だ。

 暖かい季節には太陽の動きに無頓着になりがちだが、この季節にはどこから太陽が登って、どこに沈むのか。その位置や時間にとても敏感になってしまう。そして今頃、地球の反対側の人々や動植物たちを温めているのだろうと、遥か彼方に注ぐ陽の光にまで思いを馳せる。

 寒くて深い夜、または雲に遮られた灰色の空の下に居ても、この地球上のどこかで輝く太陽の存在を知るだけで、我々は僅かながらも希望を見いだせるものである。

 そしてどんなに寒い季節でさえ、木々や草花の根は土中深くでひっそりと息づき、春の到来を我慢強く待っている。

 「何も咲かない寒い日は、下へ下へと根を伸ばせ」

 シドニー五輪の女子マラソンで、見事、金メダルに輝いた高橋尚子選手は、高校の時の恩師から贈られたその言葉を、今でも座右の銘にしていると言われている。

 夏になると花のその甘い香りでうっとりとしてしまうスイカズラ。昔の人はこの蜜を吸ったことから「吸い葛」と読んだが、スイカズラは漢字で書くと「忍冬」。これはスイカズラの葉が、寒い季節でも美しい緑を保つからである。

 昨日、山を走っている時に、大木の根のえぐれた土の下から、こんなにも大きなツララが下がっているのを見つけた。さきほども言ったように、このところ雪も雨も降っていないので、土も乾燥しているように見えるが、実はこんなにも水分を含んでいるのだ。そしてその水分が、土の中に眠る植物たちを静かに育んでいる。そして春になれば、南から戻ってきた太陽が、芽吹いた新しい命をさらに大きく育てるのだ。

 そのように考えれば、冷たく凍りついたツララの存在でさえ、小さな希望の種に映るのである。

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自然からの美しいメッセージ

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 この季節はほぼ毎朝、山を走っている。

 走り始めの時間がまだ暗いということと、道路が凍っていて危ないということが理由で、無用な交通事故を避けるためだ。

 だから毎朝のように山から美しい朝陽を拝むことができる。

 山に入っていく時間が6時半で、その頃はまだ薄暗いが、ちょうど見晴らしのいいトレイルを走り始める頃には太陽が顔を出し、すっかりと葉を落とした木々を黄金色に染める。その時間はわずか10分ほどだが、その瞬間に巡り合えるだけでも、この時間に山に居て良かったと思える。

 だから元旦の朝だからと言って、特別な朝陽ではないのだが、それでも一年のスタートを告げる初日の出なので、少しはいつもと違った気持ちで山に登る。

 どう「少し違う」のか?

 いつもはトレーニングが主目的で、そのついでにカメラのシャッターを押すが、この日は美しい日の出の撮影が主目的で、トレーニングは意識しない。とは言っても、荷物を担いで山に登るのだから、氷点下の寒さの中でも汗が流れ、その汗によって冷えないような工夫はする。

 残念ながら今年の初日の出は雲の中にあった。が、雲の存在は空にドラマを与える。抜けるような快晴の青空に、鮮やかな一条の光を投げかける日の出も美しいが、雲を紅く怪しく染め、その姿を雲の切れ間から変幻自在に魅せる日の出も、それはそれで美しい。

 なによりもそれを見る側が、厳かな気分になっていることが重要だ。手を合わせて昨年の無事に感謝し、今年の無事を願う。そしてその瞬間、いつもより強く、亡き母の存在を感じる。

 

 皆様、今年もよろしくお願いします。

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    木村東吉
    1958 年大阪生まれ。
    20代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍したが、その後、30 代に入りアウトドア関連の著作を多数執筆。
    現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、講演など、幅広く活動している。
    また各企業の広告などにも数多く出演しており、そのアドバイザーも務めている。

    詳しいプロフィールはこちら

    木村東吉公式サイト「グレートアウトドア」

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