先日、娘の家で「恋人たちのパレード」という映画を一緒に鑑賞した。
1930年代の大恐慌時代のアメリカ。
獣医を目指して大学に通っていたジェイコブ(ロバート・パディンソン)は、突然、両親を交通事故によって亡くし、無一文で通りがかった列車に乗り込むが、その列車はサーカスの移動列車だった。
サーカスの団長であるオーガスト(クリストフル・バルツ)に気に入られ、サーカスの獣医としての職を手にするが、いつの間にかオーガストの妻であるマリーナ(リーズ・ウィザースプーン)と愛しあうようになり・・・
で、その映画の鑑賞中、娘がぽつりと呟いた。
「私ならジェイコブを選ばない」
「なぜ」とボク。
「だってオーガストの方がぜったいに生活力があるもん」
確かに娘の言うことは正論、もっともである。
だがそれを聞いて、些かショックを感じたのも確かである。
ボクには3人の子どもがいるが、女の子は彼女一人だ。ご多分に漏れずに幼い頃から「キラキラやひらひら」が好きで、ロマンチックな映画に涙し、幼稚園のお遊戯会では、恍惚の表情を浮かべて踊っていた。ディズニー映画のヒロインに憧れ、弟をヒーローに見立てていつも遊んでいた。
もちろん我が娘なので、カヌーにスノボ、山登りにキャンプと、アクティブなことはなんでもこなしたが、それでも父として自分の娘は、どこか夢見がちなロマンチストとして映っていた。
だがその娘もすでに一児の母親として頑張っている。いや「頑張っている」との表現は生易しい。看護師として病院という厳しい職場でフルタイムで働き、幼い子どもを必死で育てている。もちろん娘の旦那さんも会社員として真面目に働いているが、旅行やマイホーム資金を得るために、二人で頑張っている。
娘は親が驚くほど倹約家で、すでに看護学校時代の奨学金もすべて自分の稼ぎで返済を終え、彼女は完全に自立している。
そういう娘だから、先ほどの映画での呟きは、彼女の性格なら当然の感想であると思われるが、逆に父として娘に勝手な幻想を抱いている自分に、呆れ気味にショックを感じたのである。
娘が小学5年生の頃、級友から影響を受けて〇〇という歌手を好きになった。そのことを聞いたボクは異常にその〇〇にケチをつけた記憶が残っている。それまでは映画も音楽も、すべてボクの影響下にあったからだ。
昔から娘を可愛がってきた。そんな様子を見て周囲は「絶対に嫁に出す時に号泣するね!」と口を揃えた。ところが娘が結婚する時、ボクは喜びに包まれ、涙なんて一滴も溢れなかった。
しかし・・・歌手の〇〇にケチをつけたり、映画の感想に動揺している。父親ってそんなものかもしれない。
子ども達は、数年でどんどん大人へと変わっているのに、歳だけを重ねている自分・・・
頼もしくもあり、少しだけ寂しくもある、複雑なお年頃です。 ^-^;)