若い頃から「自分は社会生活に適合できるのか」と心のどこかで不安を抱えていた。税金をきちんと収めることができるのか? 保険料は? それ以前に自活できるのか? また家族をきちんと養っていけるのか?
もちろんその不安は今も少しは残っているが、まあ53歳という年齢とこれまでの人生を鑑みれば、どうにか社会に適合できた、と言えるのかもしれない。が、それでも自分の性格を自己分析する限り、勤め人は務まらないと思う。
ところで社会を学校に例えれば、今の年齢から言えばかなり高学年の域に達すると思われる。多くの先輩や同級生が卒業していき、卒業しないまでも、これまでのように活発に活動する同級生や先輩が少なくなった。
かつてはこの「学校」できちんと卒業できるかどうか心配だったが、自分でもそれなりに頑張って来たかもしれない。入学当初は危うく「停学」になりかけたり、「退学処分」の可能性もまったくなくはなかったが、ぎりぎりのところで多くの人々に支えられ、なんとかこれまでやって来た。
自分にやれるのか? という不安が消え去ると、次はその中で一旗上げてやる、という欲求も湧いてくる。フットボールチームや陸上競技で活躍したり、研究成果を発表したり、自分の存在価値を認められたい、という願望も強くなる。もちろんその願望を満たすために努力を重ねることが、その人の成長に繋がって行くので、それはとても結構なことである。
しかし自分の今の年齢に達すると、一旗上げてやる、という願望から努力するのではなく、より長く学校に在籍し、後輩たちと一緒に、いかに楽しく勉学や運動に励むことができるのか・・・ということのための努力に変わって来ている。その為にはなによりも体力が必要だし、柔軟な発想も不可欠だろう。そしてその双方を満たすための偏見のない好奇心も大切だ。それは数少ない偉大なる先輩たちが、きちんと身を以って示してくれている。
昨年、新たに新入生も入学して、ますますそのモチベーションに繋がっている。いつの日か、大きく成長した彼女とディベートやディスカッションを交わし、一緒にスポーツを楽しむことができるその日まで、今の努力を怠らないようにしたい。
そして素晴らしい学生生活を与えてくれる「人生という名の学校」に心から深く感謝したい。
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