Facebookの「タイムライン」は、例えて言うならば「自分の家の庭」のようなモノである。と、前回、言った。決してリビングルームではなく、あくまでも庭だ。
リビングルームはきちんと招待されないと内部の詳細が分からぬが、庭なら通りすがりの人も見ることが可能だ。
だが庭は季節や経年によって変化するので手入れが大変。家の亭主はせっせと庭を手入れをして、そこに仲の良い客を招いてお茶をもてなす。呼ばれた客は相伴を伴ってその招きに応じ、その庭でひとときの寛ぎを味わう。
呼ばれた客は「正客」と呼ばれ、それに伴う客は「相伴衆」と呼ばれる。古くから「ご相伴に与ります」と言うが、それはこの「正客」の「連れ」として「お裾分け」を頂くことから来ている。または亭主のサポートをする立場を「相伴」と言うこともある。いずれにしても「お茶」の世界の言葉である。
で、そのお茶の世界でもっとも重要な言葉が、千利休の唱えた「和敬静寂」の心。
和を敬い、静かな時を楽しむ。
が、敬うのは結果としての「和」ではなく、亭主は客を敬い、客も亭主を敬う。相伴は双方を敬い、その場の互いの立場の尊重が、静寂なる「和」を生み出す。あるいは、美味しい「和え物」のように、ひとつのモノと、もうひとつのモノが交わる時に、交わったふたつ以上の味わいが、「和敬静寂」の「「和」の心だと説もある。
いずれにしても、客も相伴も、謙虚な姿勢が求められるのである。そこで持論を繰り広げ、己の価値観を押し付けることなど言語道断と言えるのだ。
ソーシャル・ネットワーク・サービスの急速な普及により、それを使う意識が混沌としている時代である。そんな中で、「友達」リクエストに一言、メッセージを添えるのも、小さいことながら、不可欠なマナーと言えるだろう。
そして「友達」であろうが、フィード購読者であうが、「タイムラインという庭」を訪れる時には、その庭に対して「敬い」の気持ちを忘れてはならないのである。
それが出来ないのであれば、人に迷惑を及ぼさない範囲で、自分の庭で騒々しい花火を勝手に上げれば良いのだ。
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