ここに一枚の写真がある。
撮影したのは28年ほど前、ボクがまだ24歳か25歳の頃である。
撮影してくれたのは与儀達二氏で、「朝日広告賞」など、数々の賞を受賞した巨匠で、当時、銀座松屋の広告撮影の仕事でよくモデルとして使っていただいた。
その特殊な撮影スタイル、そして素晴らしい仕上がりに感服したボクは、自分の資料用写真の為に与儀氏にお願いして、氏のスタジオで撮影したのがこの写真である。
撮影中、音楽や絵画、読書や料理の話をしてくれ、合間にはフルートの演奏までしてくれた。撮影後には夕食までご馳走になり、与儀氏の多才ぶりと、そのホスピタリティの素晴らしさに、ますます敬服した記憶が鮮明に残っている。
その時、小学生だった与儀氏のご長男と、フェイスブックを通じて「友達」になった。今ではお父様と同様にカメラマンとして活躍されている様子である。
で、この秋から本格的にモデルとして活動する為に上京した次男に、与儀氏のご長男と会ってみることを勧めた。ボク自身が彼が小学生の時にしか会っていないのに、随分と無責任な話かもしれないが、それでも与儀氏(息子さんの方)は次男と会うことを快諾してくれた。
で、会って、二人は大いに意気投合したらしく(おそらく与儀氏が次男のレベルに合わせてくれていると思うのだが)、数日前に次男から連絡があり、「今度、二人で河口湖に遊びに行くよ!」と興奮した様子で電話が掛かってきた。
モデルをしている頃から、周囲から(所属モデルクラブの社長も含め)浮世の塵みたいな職業と言われていた。いくら売れっ子になっても儚い夢だと。少しでも早く現実を見つめ、きちんと将来のことを考えろ、とも言われた。
確かに不安定な職業で、年老いていつまでも続けられる仕事ではない。自分自身のこれまでを振り返っても、決して順風満帆ではなかった。
だがそれでも多くの素晴らしい人に出会い、いつも誰かが助け舟やチャンスを出してくれて、次の波に上手く乗れた。時には波間でもがくこともあったが、いつのまにか優しいうねりがやってきて、また再び波に乗っていた。
遠い、遠い祖先が自分を見守ってくれるのか、あるいはまだ会ったこともない誰かが、いつも自分を応援してくれるのか、それとも仕事で出会った人たちが、また他の仕事を与えてくれるのか。
いずれにしても、直接的、間接的に、多くの人々の世話になりながら、今の自分が存在する。
そして「浮世の塵のような仕事」に携わってきた割には、親子二世代に亘ってお付き合いいただける人がいる。
確かに儚い職業かもしれない。が、どんな職業に就いても人との触れあいに違いはないのだ。
それをひとつひとつ大切にしていけば、塵も煌めく瞬間があるのだ。
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