「被写体を記録するのか、あるいは記憶するのか」
人差し指でシャッターボタンを圧す瞬間、我々、凡人アマチュア・カメラマンは、それを意識することは少ない。
ところがプロの写真家は違う。
神戸の北に位置する三田市。ここに知る人ぞ知る、有名なスィーツの店、「es koyama」がある。そのパティシエである小山ススム氏によると、お菓子のおいしさは「空気」の分量に大きく左右されると言う。それを聞いた写真家、テラウチマサト氏は、「それじゃそのお菓子の中の「空気」を表現しよう」と思い立ち、現在、「おいしい秘密」と銘打ち、スイィーツをマクロ撮影した写真展を京橋で展開している。
先日、その写真展に赴き、テラウチ氏と話す機会にも恵まれたが、その際にテラウチ氏が言った言葉が、冒頭の「記録するか、記憶するか」という選択肢である。
つまり極端な例を挙げると、戦場カメラマンとして戦地の様子を被写体とする場合、これは「記録」することがもっとも大切だと思われる。自分自身の主観を極力排し、そこで繰り広げられている現状を、忠実に世に知らしめることが、そこでシャッターを切る者の使命である。
だが例えば著名人や俳優などの人物を撮影する場合、写真家が自分自身の「記憶」というフィルターを用い、その人の持つ魅力を最大限に引き出すことが求められる。
テラウチ氏の言う「記憶と記録の違い」が、ボクとの解釈とは些か違うのかもしれないが、今回の写真展に於いてテラウチ氏は、極力、「記録」に徹してシャッターを切ったと言う。
ところが展示してある写真を見る限り、やはりそれはテラウチ氏のみが表現可能な作品として仕上がっている。
幾重にも重ねられたパイ生地や、溢れ出る美味しそうなクリームが被写体でありながら、それは大自然の中の巨大な岩や木の樹皮にも見えるし、幾何学的な文様にも見える。それにまたプリントが素晴らしい。
マエストロがシャッターを切ると、スィーツの世界もこのような広がりを見せるモノなのか...
京橋、72ギャラリーで2月13日まで開催されている「おいしい秘密」
必見の写真展である。
コメントする