薪の準備もいよいよ大詰め。
本来なら11月中に終えなければならない作業だが、今年は作業が遅れてしまっている。
雪が降ればすべての薪が雪に埋もれてしまい、そこからは作業ができなくなるので、初雪が降るまでには作業を終えなければならない。
もう今から8年ほど前の話だが、2月中旬にストックしてあった薪が底をついたことがある。
これには理由が二つあった。
一つ目の理由は、その年に集めた木が、松の木が多かったということ。松は高熱を発し、広葉樹と比較して早く燃えてしまう。できることなら薪は広葉樹が望ましい。
二つ目の理由は、ストーブのガラス窓の一部が欠けていたこと。
我が家の薪ストーブは、美しく揺らめく炎を見えるように、ガラス窓が付いている。もちろん耐熱ガラスで頑丈な窓である。さらには薪ストーブには空気調整用の弁も付いている。この弁の開閉によって、空気の調整を行い。火加減を微調整するのである。が、窓ガラスが欠けていることによって、どんどん空気が送り込まれ、薪の消費量が増えたのである。
雪に埋もれた(厳密に言うと氷に包まれた)カットしていない木はあるが、それを使うのは不可能だ。
結局、灯油ストーブを購入して残りの冬を耐えた。
だが翌年の秋に、次男が発した次の言葉によって、ボクは多いに発奮することになる。
当時、小学校5年生だった次男は、学校から帰ってくるなりドアを開けながら言った。
「父さん! 外で冬の匂いがする」
冬の匂い? 怪訝に思いながら外に出ると、どこかの別荘で薪を燃やしていた。
「そうか...彼にとっては薪ストーブの煙の匂いは冬の匂いなんだ...」
我が子の心に刻み込まれた季節の香り。
その美しい記憶をきちんと守り続けなければならない。
確かに作業は面倒だ。着火だってスイッチひとつという訳には行かない。だがそこから得る暖かさは、記憶の奥底にずっと残る暖かさなのだ。
「父さん! 冬の匂いがする」
薪割り作業中にこだまする息子の声。
思わず頬を緩め、再び斧を振り上げるのだ。
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