先日のブログで、四季が繰り返す気象条件が、我々にとっては、決して情け容赦のないものではない、というような内容を書いた。
一年でもっとも陽の短い冬至の時期はそれほど寒くなく、雪が降り、すべてが凍てつく厳冬期には、少しは陽が伸びる。この時間差が「情けや容赦」を感じさせるのだと。
ご覧の写真は鹿の死骸だ。
撮影したのは近所の小さな堰で、なぜ、こんなところで鹿が死んでいるのか? ちょっと理解に苦しむ場所ではある。
最初、妻が発見した時にはもっと肉が付いていたというが、写真を撮影した時にはすでに頭部と毛皮だけしか残っていなかった。時々、朝早く登山道に入って行くと、明らかに鳥が襲われたらしき残骸に出くわすが、このように、毎晩のように暗い森の中で動物達の死闘が繰り広げられているのである。
そしていつもこのような死骸を見て思い出すのは、映画「ダンス・ウイズ・ウルヴス」のワンシーンだ。
ネイティブ・アメリカンの人々が貴重な食料として大切にしているバッファロー。ところが大勢の白人たちがやってきて、バッファロウを大量虐殺してその毛皮だけを剥いでしまう。大平原の残された、皮を剥がれたバッファロウの累々たる無残な死骸・・・
この鹿のように動物達は食べることのできる肉を真っ先に貪り、皮や頭部は最後まで残っている。鳥たちの死骸も同様に、綺麗な羽根のみが残されている。
動物間の殺戮は、自分自身が生き残る為の行為で、人間のみが、それ以外の目的で他の動物の生命を奪う。
実は「情け容赦のない」のは、自然界ではなく、人間界だけなのかもしれない。
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