もう三十年近く前に読んだ本だが、開高健氏の「地球はグラスのふちを回る」というエッセイ集がある。
ご存知、酒好きでグルメ、釣りを愛し、世界各地を旅した開高健氏のエッセイ集である。
この本はそのタイトルからも分かると思うが、酒にまつわるエッセイが主となっているが、そのエッセイの中に次のような一節がある。詳しい内容は記憶を辿るので少し曖昧だが、だいたい次のような内容だ。
「世の中の美しいモノを見なさい。美しいモノはどこにでも見つけることができる。路地の端、お婆さんの皺の中、どこにでも美しいモノは転がっている」
もちろん有名な観光地や若い女性の表情の中に、美しいモノを見つけるのは簡単だ。だが開高氏は自分さえその気になって、内面の美しさを発見できれば、身の回りにいくらでも美しさは存在していると言っているのだ。
毎日、満員電車に揺られて通勤する人々、愛する家族や妻の為に、様々なことに耐えるその姿の中に、いくつもの美しさが存在する。
雑草という名の植物は存在しないと言われるが、どんな道でもひっそりと生きる草花がある。
ジョギングをする人たちの額に光る汗、子どもの手を引くお母さんの温かい掌、日常に美しさが散らばっている。
この季節、空はどこまでも高く、朝陽の輝きは暖色系の色合いを強める。いつもより少しだけ早起きすれば、もっともっと、いろいろな美しさに出会える。
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