モンスターカレンダー

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鬼が笑う

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 これまで、いろいろなレースにチャレンジしてきた。で、そのレースの内容が厳しければ厳しほど、決まったように直後に人は尋ねる。
 「来年、もう一回やりたいか?」
 ボクの答えはいつも「NO」だ。
 終わった直後、精根尽き果て、少しでも早くからだを休ませたいと思う。
 昨日の「チャレンジ富士五湖」の後も、やはりすべての体力、気力を使い果たし、来年のレースはおろか、日々、走ることさえ無理だと感じるほど、疲労困憊しきっていた。
 それでもボクが出場したのはビギナークラスの72キロである。この他にも100キロ、112キロのクラスがあり、多くのランナー(ちなみに今年の参加選手は2500名ほど)たちが早朝から夕刻まで、自己への限界にチャレンジしていた。
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 これまでにもアドベンチャー・レースなどで、200キロ、300キロという距離は経験がある。が、そのどれもが走るのみではなく、様々な競技の複合であったし、 日数もそれなりにかけていた。一日で72キロもの距離を走るのはこれが初めて、まさに「チャレンジ」だったのだ。
 それでも42キロまでは、予定通りの展開だった。1キロ6分20秒くらいを刻み続け、42キロ時点でのタイムは4時間半。ここのエイドステーションでたっぷりと栄養補給をして、残りの30キロを1キロ7分から7分半で走りきろうと考えていた。が、これまでにフルマラソンは十数回走っているが、それ以上の距離は未知数である。
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 42キロでたっぷりと休養、補給をしたせいか、最初はこのまま1キロ6分台をキープできのではないか、と思えるほど調子が良かった。だが50キロあたりになると心拍数が上がる割にはスピードが出ない。55キロを過ぎるあたりに大きな下り坂があり、そこを慎重に歩くようなスピードで降りたが、そこで足が攣ってしまった。こうなるともうどうにもならない。その先、60キロ地点で妻や友人が待っていて、最後の12キロを一緒に走ってくれる約束だったが、そこまでは歩くことと走ることを交互に繰り返し、妻たちと会った時にはほとんど歩いていた。
 マラソンを始めた当時、今から25年ほど前のことになるが、ハーフマラソンに出場して、折り返しで同じように足が攣り、残りの10キロを歩いた経験がある。15年ほど前に出場した静岡県の掛川マラソンでも30キロ地点で足が攣り、残りの12キロをだまし騙し歩いて完走した。心肺機能にはなんの問題もない。体力もまだ残っている。が、走ろうとすると足の筋肉のあちこちが一斉に悲鳴を上げる。
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 当初の予定より1時間ほど遅れて、電光掲示板が示すように9時間24分でなんとかゴールしたが、惨憺たるレース展開となったのである。
 もちろん昨日は二度と、このようなレースには出ない...と思った。が、一晩眠り、レースの内容を細かく振り返る。
 <今回は塩飴を持っていなかったので、ミネラルの補給がまずかったのかな...水分をもっと多く摂るべきだったな...エイドステーションでもう少し休めば良かったかな...前半のスピードをもう少し抑えるべきだったのかな...>
 反省材料が次々と頭の中を過ぎる。
 <それらをひとつひとつ、今後の練習で検証していかなければ>
 課題を検証して、その結果を見出さなえればならない。
 「来年、もう一回やりたいか?」
 答えは「YES」である。
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コメント(2)

今晩は、ざきおです。
チャレンジ富士五湖お疲れさまでした!そして完走おめでとうございます。
今回、東吉さん達と同じ72kmに挑戦する予定でしたが、残念ながら達成することが出来ませんでした。
出場できなかったのはとても悔しかったですが、応援しながらも皆さんの頑張るすがたを目の当たりにして沢山元気を頂きました!
私も鬼が笑うと思いますが、来年こそは…!

グルメマラソンは不参加ですか? レースそのものよりレース後が楽しみな大会ですね

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    木村東吉
    1958 年大阪生まれ。
    20代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍したが、その後、30 代に入りアウトドア関連の著作を多数執筆。
    現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、講演など、幅広く活動している。
    また各企業の広告などにも数多く出演しており、そのアドバイザーも務めている。

    詳しいプロフィールはこちら

    木村東吉公式サイト「グレートアウトドア」

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