昨日、「山を走る、ということの意味」とタイトルでブログ記事を書いたが、もう少しここで書き足そうと思う。
昨今、トレイルランがブームとなり、全国各地でそのレースなども頻繁に開催されている。我が裏山の足和田山も、友人がプロデュースするトレイルラン・レースのコースとなっている。そしてそのブームと共に、山を走ることの是非も問われるようになり、地元やハイカーたちの反対によって開催が不可能となったレースもある。
トレイルラン反対の根拠は、一度に大勢の人々が山を走ると、その自然環境が破壊される、といった理由や、そこを歩くハイカーの安全性などを危惧したものである。
一昨年の秋、雑誌「ターザン」の取材で、ニュージーランドで開催された「エイベル・タズマン」というトレイルランのレースに出場したが、そのレースも自然保護の観点から参加者を250名に限定している。
そもそも何故、山を走るのか?
それは山に於ける遭難の危険回避の為である。
自然の中では気象条件が刻一刻と変化する。その中で安全に活動するのには、天候の安定している時間帯の中で、自分の行きたいところに最小限の時間で到着し、最小限の時間で戻ってくることが求められる。グズグズしていると天候が急変し、それだけ遭難の危険性が高まってくるのである。それはカヌーやヨットなども同様だ。
だから少しでも山に早く登り、少しでも早く下山することが求められる。「ミニマリズム」という発想も、そこを基準に生まれた。
だから「トレイルラン」という言葉さえない時代から、登山者は下山の際には走って下りていた。ボクもそれを理由に山を走るようになった。
それがここ十数年の間に競技となり、全国各地で開催されるようになった。
そしてそれらの参加者の考え方は、大きく二つに分けられる。
ひとつは山を愛し、その中を走る爽快感と自然との一体感を求める者。
そしてもう一方は、どれだけタイムを縮め、レースに於いてどのような記録を残せるか、と言うことに拘る者だ。
どちらの考え方を肯定し、どちらの考え方を否定するか? それをボクはここで問うつもりは、毛頭ない。ただ、この二つの考え方のいずれか、あるいはその二つの考えが融合したトレイルランナーが居る、ということだけだ。またあるいはそこまで考えずに、ブームだから、という理由でそれらのレースに参加する者もいる。いずれにしても、まったく違う意識を持って山を走っているのである。
しかし日本に於いて今後、トレイルランが一時のブームで終わるのか、それともアウトドアのアクティビティとしてしっかりと根付くのか、上記の意識を認識するかどうかで、それは大きな方向性の違いとなってくる。
特にレースを主催する者、それらのスクールやツアーを開催する者は、「山を走る、ということの意味」を、深く考えて欲しいのである。
昨今、トレイルランがブームとなり、全国各地でそのレースなども頻繁に開催されている。我が裏山の足和田山も、友人がプロデュースするトレイルラン・レースのコースとなっている。そしてそのブームと共に、山を走ることの是非も問われるようになり、地元やハイカーたちの反対によって開催が不可能となったレースもある。
トレイルラン反対の根拠は、一度に大勢の人々が山を走ると、その自然環境が破壊される、といった理由や、そこを歩くハイカーの安全性などを危惧したものである。
一昨年の秋、雑誌「ターザン」の取材で、ニュージーランドで開催された「エイベル・タズマン」というトレイルランのレースに出場したが、そのレースも自然保護の観点から参加者を250名に限定している。
そもそも何故、山を走るのか?
それは山に於ける遭難の危険回避の為である。
自然の中では気象条件が刻一刻と変化する。その中で安全に活動するのには、天候の安定している時間帯の中で、自分の行きたいところに最小限の時間で到着し、最小限の時間で戻ってくることが求められる。グズグズしていると天候が急変し、それだけ遭難の危険性が高まってくるのである。それはカヌーやヨットなども同様だ。
だから少しでも山に早く登り、少しでも早く下山することが求められる。「ミニマリズム」という発想も、そこを基準に生まれた。
だから「トレイルラン」という言葉さえない時代から、登山者は下山の際には走って下りていた。ボクもそれを理由に山を走るようになった。
それがここ十数年の間に競技となり、全国各地で開催されるようになった。
そしてそれらの参加者の考え方は、大きく二つに分けられる。
ひとつは山を愛し、その中を走る爽快感と自然との一体感を求める者。
そしてもう一方は、どれだけタイムを縮め、レースに於いてどのような記録を残せるか、と言うことに拘る者だ。
どちらの考え方を肯定し、どちらの考え方を否定するか? それをボクはここで問うつもりは、毛頭ない。ただ、この二つの考え方のいずれか、あるいはその二つの考えが融合したトレイルランナーが居る、ということだけだ。またあるいはそこまで考えずに、ブームだから、という理由でそれらのレースに参加する者もいる。いずれにしても、まったく違う意識を持って山を走っているのである。
しかし日本に於いて今後、トレイルランが一時のブームで終わるのか、それともアウトドアのアクティビティとしてしっかりと根付くのか、上記の意識を認識するかどうかで、それは大きな方向性の違いとなってくる。
特にレースを主催する者、それらのスクールやツアーを開催する者は、「山を走る、ということの意味」を、深く考えて欲しいのである。
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