2009年2月アーカイブ
看護師の国家試験を受験する娘に、浅草まで会いに行ったのには、もうひとつ大きなワケがあった。それがこれ。 東京で暮らしていた20代の頃、当時のモデル仲間とよく一緒に浅草に呑みに行った。目当てはここ。浅草名物「神谷バー」の「デンキブラン」を呑む為である。「デンキブラン」とは「神谷バー」特製の飲み物で、ブランデーをベースに、ジン、ワイン、キュラソー、薬草などを加えたカクテルだ。ほんのりと甘みがあり口当たりはとてもいいが、度数は30度と強いお酒でもある。明治15年にこの「デンキブラン」が誕生して、すでに120年の歳月が経つというが、当時はハイカラなモノに「電気○○○」というネーミングを付けるのが流行だったらしく、この「デンキブラン」も当時は「電気ブランデー」と呼ばれていた。この「デンキブラン」を一口呑み、それを生ビールをチェイサー代わりにして流し込む、という「正統派デンキブラン」の飲み方で気持ちよく酔い、その後、ディスコ(死語か)などに繰り出すのが、あの頃の楽しみのひとつだった。と云うことで、「受験する娘の陣中見舞い」という大義名分のもと、25年ぶりにこの「神谷バー」を訪れたのであった。
日本の昔の表記によれば、新潟は「越後」と称され、福井は「越前」と呼ばれた。で、「越の国」の中心は富山で、「越中富山の薬売り」などと言われた。いずれにしても「越の国」は冬、雪深く、夏、高温多湿で、米作りにも適している。「ベルナティオ当間リゾート」の帰路、十日町の道路を走っていると、ご覧のように道路が赤茶けて見える。これは道路の中央に融雪パイプが埋設されており、そこから湧き出た水が錆を発生させる為に、このような現象が起こるのだが、雪深い冬にはそのことに気付かない。今年は雪が少ない為、我々もそのことに気が付いたのだが、今週は週初めから例年通りの雪が降っていると聞く。さて今日から3日間、十日町では60回目の「十日町雪祭り」が開催される。地元の人々はこの降雪に、きっと胸をなで下ろしていることだろう。
なんだかこのところ、仕事と言えば、カヤックに乗ったり、ジャングルを歩いたり、雪上を散策してばかりいて、本当に仕事をきちんとしているのか? という疑問が(特に家族周辺から)湧き上がっているが、ホレ! こんな風にマジメな表情できちんと打ち合わせもしているのだ。 我々が暮らす富士五湖地方も観光業に大きく依存しており、日本のその他の風光明媚な場所、あるいはスイスや、先日、訪れたロタ島など、その地域の特性を生かした観光をフルに活用したいと考えている。今まではただそこを訪れ、その地の名所だけを巡っていれば、それで十分にビジネスとして成り立った。だが今では観光客側の意識も高い水準にあるし、このご時世だ、タダ単に名所名跡だけを見て歩くような画一的な観光では、リピーターはおろか、誰も訪ねて来てくれないのである。我が国では昔から「物見遊山」という言葉がある。その熟語の本来の意味を紐解けば、「地域に伝わる祭りや行事をその目で見、野や山で遊ぶ」とある。つまり「知的好奇心を充足させ、その地域でしか体験できないアウトドアでの遊びを満喫する」ということなのだ。ボクに科せられた任務、というのは、まさにそれらを提案することなのである。
モデルの仕事をしていると、氷点下に近い気温の初春に夏物の服を着たり、クソ暑い盛夏に秋冬物のジャケットを着用して撮影するなど、あれこれ奇妙なことは多いが、昨今のデジタル化で、撮影現場でもおかしな状況が生まれている。まずは写真をよく見て欲しい。ちょっと見辛いかもしれないが、キッチンの薪ストーブを使って調理をしているボクを、冷蔵庫の横からカメラマンが撮影している。が、手前の二人のスタッフは、その撮影しているカメラマンやボクを見ないで、ラップトップの画面を真剣に覗き込んでいる。以前なら被写体となるボクを、スタッフは入念にチェックしたモノだが、今では撮影した画像をリアルタイムで無線ランを用いてPCに送信するので、皆が皆、ラップトップと睨めっこをしているのだ。以前はポラロイドなどでテスト撮影が常識であったが、今では誰もポラロイドを使用しなくなった。便利になったと言えばそれまでだが、これまた奇妙な感覚がしなくもないのだ。
ロタ島で22年暮らすマーク・マイケル氏に夕暮れ時のワインの話をしたら、「我が家のテラスから見える夕陽を眺めながら、妻の作ったマルガリータを呑むのも最高だ!」と自慢された。そうなると押し掛けるしかない。図々しく大勢で押し掛けた我々を、ご覧のような大きなボウルに注がれたフローズン・マルガリータで歓待してくれたマイケル夫妻。アメリカ人らしくワカモーレとトルティーヤ・チップスのアペタイザー付きである。悔しいけれど、このようなお洒落な演出はやはり欧米人には叶わない。
ロタ島は16世紀から19世紀後半頃まではスペイン人によって植民地化され、その後、少しの間、ドイツの統治となり、20世紀初頭から第二次世界大戦が終了するまで、日本によって統治されていた。今ではサイパンやテニアンと共に「北マリアナ諸島」として米国自治連邦区(Commonwealth) となっているが、それも今年の5月31日で終了し、6月1日からはグアム島と同じようにアメリカ準州となる。今現在も通貨はUSドルであり、英語が公用語となっているが、食文化は日本色が強く残っており(日本人観光客が多いせいもあるが)、島内のあちらこちらに日本人統治時代の遺産も残されている。ご覧の写真は島西部に位置する「ケーブ・ミュージアム」の内部で、その名の示すとおり、自然の洞窟内部が博物館になっている。その奥行きは75メートルにも及び、かつては旧日本軍の弾薬庫として使用されていたと言う。
で、マーク・マイケル氏が連れて行ってくれたポイントが、ロタ島では有名な「ハニーガーデン」のビーチ。「ハニーガーデン」と云うのは、綺麗に整備された花が咲き乱れる庭で、5ドルの入場料を支払うと、南国のフルーツが食べ放題。その美しい庭では結婚式も挙げることが可能らしく、あの歌手の野口五郎氏もここで結婚式を挙げたとか。美しい海に囲まれた島内では、いろいろな場所でカヤックを楽しむことが可能だが、風向きや波によって、カヤックの出せるポイントも違ってくる。それにせっかくだから、カヤック&スノーケリングという組み合わせも楽しみたい。抜けるような青空の下でパドリングを満喫し、汗をかいたらクリアブルーの海にドボン! そして太陽をいっぱいに浴びた南国のフルーツを頬張る。これ以上の贅沢があるのか?
ところで、どうしてロタ島に来ているのか? と云うと、昨年から西湖を中心にしてカヌー・ツアーとトレッキング・ツアーを開催している。今年もすでに年間スケジュールが決まっているが、そのツアーを、ロタ島で開催できないか? と云うのが、ここにいる理由である。サイパンやグアムなどはかなり商業化が進んでいるが、ロタ島は豊かな自然が残されており、秘境とも言えるジャングルや森が数多く存在する。それにご覧のように鮮やかな碧い海が拡がっている。カヤックだけに限らす、スノーケリング、ダイヴィング、MTB、トレッキングと、我々のツアーを開催するのに、最高のロケーションが整っているのである。それに日本から僅か3時間というのも嬉しい。と云うことで、なにをどうのように組み合わせて遊ぶか? ということをリサーチするためにロタ島に居るのだ。遊んでいるように見えるが、これも仕事のうちのひとつなのだ。いやホント。
ロタ島に来ている。サイパンやグアムなら日本人のほとんどの人々に馴染みがあると思われるが、ロタ島はあまり知られていないのではないか。位置的にはサイパンとグアムの間にあり、北からサイパン島、テニアン島、ロタ島、グアム島と並んでいる。が、グアムはアメリカの準州となっているが、サイパン、テニアン、ロタは「北マリアナ諸島」に属する。(それも今年の5月末までで、その後はやはりアメリカの準州となる)で、そのロタでなにをしているのか? まあそれは今後、ゆっくりと紹介していきたいと思っているが、とりあえず、ご覧の写真はサイパンからロタに向かって小型飛行機に乗り込む瞬間。これまでに国内外の島に渡る為に、いろいろな小型機に乗ったが、この飛行機も相当に小さい。一応、笑顔は浮かべているが、本音を言えば少し緊張しているのだ。
ひとつのことが気になると、そのことが頭から離れず、あれこれ好奇心を以って調べてみたくなる気質がボクにはあるが、通っている歯科医院の「はなまがり」という名前の由来が判ったら、今度はよく行く公園の名前の由来も知りたくなった。 我が愛犬の散歩コースである勝山の「小海公園」からの遊歩道は、約2キロ弱の湖畔道がそのまま小立の「シッコゴ公園」へと繋がっている。以前から、この「シッコゴ」という名前の響きに興味を持っていた。ご覧の写真は、その「シッコゴ公園」の名前が彫られた岩だが、「シッコゴ公園」という名前の下にある図は、馬に乗って矢を射る様子が描かれている。これは「シッコゴ公園」で毎年開催される「流鏑馬」がモチーフとされているのだが、「シッコゴ」という名前には無関係である。で、いろいろと調べてみると・・・
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1958 年大阪生まれ。
20代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍したが、その後、30 代に入りアウトドア関連の著作を多数執筆。
現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、講演など、幅広く活動している。
また各企業の広告などにも数多く出演しており、そのアドバイザーも務めている。
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