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2005年12月アーカイブ

御坂山塊縦走記 4

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 御坂山塊縦走記4ということで、この話も今回で完結。
 今回の縦走はあくまでも所要時間や装備のフィールドテスト。今回の縦走に際してメンバーが新たに購入したザックや、寝袋、ウエア、それにクラブで共同購入したテントの機能性もテストの一環である。
 ご覧の写真がそのテントだが、この小さなテントに3名が就寝した。
 夏なら暑苦しくて我慢できないが、真冬にはこのくらい居住空間が小さい方が、暖気が逃げなくて適している。が、3人の人間の体温と呼気によってテント内外は結露し、その水分が凍って、撤収の時間になってもテントは凍ってバリバリになった一枚の布である。
 その凍ったテントの氷をはたき落とし、フライシート、本体、骨組みであるポールに3分割してそれぞれが担ぐ。それぞれの重さはちょうど1キロ。冬の夜の恐ろしい寒さから護ってくれることを考慮すれば、この重量は我慢できる範囲である。もちろん本当の意味で寒さから護ってくれるのは寝袋やマットだが、それも二つ併せて2キロほどの重量である。
 こうして考えると、いかに装備を軽くコンパクトにするか、つまり“ミニマリズムを追求する”ということに繋がっていくのだが、それは決して苦痛を伴うような禁欲主義ではなく、それが達成されたときに、己の道具に対する知識とその活用術に、大きな満足感を覚えるのである。
 





御坂山塊縦走記 3

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 最後の30分は本当に口数が少なくなった。
 皆、無言で夜の雪道を行軍した。
 先頭を行くボクが一度、道を間違えてから、その静寂は一層、顕著なものとなり、皆の緊張感を背中で感じた。
 が、ようやくビバーク地の「大石峠」に辿り着くと、皆、いつものように歓声を上げ、重いザックを雪原に投げ下ろした。
 いつも感じることだが、山で重い荷から開放されると、背中に羽が生えたような気分になる。
 その高揚した気分のままテントを張り、薪を集め、我々は夕食の準備を始めた。そしてその夜は遅くまで焚き火を囲み、その日の縦走を振り返った。
 翌日、薄明かりの中で目が覚めると、藍色の東の空に漆黒の山のシルエットが浮かび上がっている。
 夜明けだ。
 この夜明けの瞬間を見たくて、寒さも、暗い山道も、そして重い荷物にも耐えて歩いたのだ。この瞬間が見たくて…
 他のメンバーも同じ思いだった。それぞれにカメラを手に取り、テントの中から飛び出す。静かにシャッターを切り、朝焼けの美しさにため息をつき、寒さを忘れて、目前で繰り広げられている自然のドラマに目を奪われている。
 僅か30分ほどで、すべては色褪せ、いつもの朝に戻ってしまった。が、我々の心の中には、様々な組み合わせの暖色が重なり合う、美しい朝焼けが静かに横たわっていた。
 さあ撤収の準備だ。





御坂山塊縦走記 2

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 一泊二日で「御坂山塊縦走」ということで、御坂トンネル上部の登山道に取り付いたのが午後1時過ぎ。普段、空身(「カラミ」バッグなどを背負わないで登ること)だと、山地図に記してある所要時間の約半分の時間で登っているが、今回は冬用の装備を背負い、その重量が12キロくらいになっているので、所要時間は地図の表記通り。「御坂峠」の頂上に着いたのは約90分後の午後3時前。
 すでに冬の太陽は山の端に掛かり始めている。
 そこから御坂山塊の主峰である「黒岳」を目指す。
 「黒岳」は標高1792メートル。河口湖湖畔は800メートルを少し超える高さだから、約1000メートルの標高差である。残雪は予想以上に残り、途中から軽アイゼンを装着。が、「黒岳」を下る頃には西日が当たって雪も融けており、そのアイゼンも外した。
 「新道峠」を越える5時過ぎには完全に陽が沈み、左手には富士吉田市や富士河口湖町の街灯が点り始め、右手にも甲府市街の街灯が輝き始める。ヘッドランプを灯し、今夜のビバーク地である「大石峠」を目指す。これが夏なら日照は長いが、この時期の日没は早い。だがその代わり、雪道の足跡が「闇夜の道」を示してくれる。目指す「大石峠」は地図を見る限り、あと90分は歩かなくてはならない。
 メンバーの口数が少なくなって来た。

 コースは以下URLを参照。
http://www.fujigoko.tv/trekking/misaka.html





御坂山塊縦走記 1

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 河口湖マッスルクラブの仲間と今年最後の山登り。
 今回は御坂山塊を縦走し、途中で一泊しようという計画。
 すでに報告したとおり、12月の初旬に富士五湖地方は積雪があり、一般道は融けてなくなったが、山にはまだたっぷりと雪が残っている。それにご存知のように、今年は気象庁が「暖冬」と発表したにも関わらず、(本日付でそれも撤回したが)日本各地は猛烈な寒波に見舞われ、ここ河口湖でも夜の気温は氷点下10度近く。
 「なにもそんな時を選んで山で野宿しなくても…」という声が聞こえてきそうだが、そんな子どもじみた馬鹿げたことを、真剣にやってしまうのが我がクラブの楽しいところ。今回もボクの呼びかけに、6人の男女メンバーが集結した。
 今回のテーマは、一泊の縦走にどれだけの装備が必要で、どれくらいの時間を要するか? ということを検証することで、クラブの経費で購入したテントのフィールド・テストも含まれている。それにこれくらいの気象条件で山を縦走すると、厳冬期の山を除く、すべての装備の確認とスキルを確認することが可能だ。
 御坂トンネルの脇の登山道に取り付いたら、予想以上に残雪が多く、些か不安になるメンバーと共に、我々は「プチ冬山登山」に出発した。
 さてどんな「山行」になることやら・・・
 





ロマンチック東京

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 人々はどのようにして季節を感じるのだろうか?
 もちろん富士五湖のような豊かな自然環境に囲まれて暮らしていると、樹木の色の変化、湖面を吹く風、外気の温度、富士の表情などで、それは容易に窺い知ることができる。
 しかしその“季節を感じる気分”を盛り上げるのは、都市を彩るイルミネーションであったり、商業的なディスプレーであったりする場合もある。
 とくにクリスマスを迎えるこの時期は、都会の街はロマンチックに化粧を施し、そこを訪れる者までも華やかな気分にさせてくれる。
 12月の東京は紅葉も僅かに残り、街を吹く風も爽やかで、街行く人々すべてが華やいで見える。
 誰かが誰かに逢いに行く、誰かが誰かのプレゼントを探している、誰かが誰かの喜ぶ顔を期待している。
 12月の東京はそんな雰囲気に包まれている。
 ボクはそんな12月の東京が好きだ。





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    木村東吉
    1958 年大阪生まれ。
    20代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍したが、その後、30 代に入りアウトドア関連の著作を多数執筆。
    現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、講演など、幅広く活動している。
    また各企業の広告などにも数多く出演しており、そのアドバイザーも務めている。

    詳しいプロフィールはこちら

    木村東吉公式サイト「グレートアウトドア」

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