8月が過ぎ去っても相変わらず忙しく、四万十の旅の報告の予告をしてから、あっと言う間に一月が過ぎてしまった。
熊野古道、しまなみ海道と旅を続け、この日本再発見の旅の締め括りは四万十。
「日本でもっとも美しい川」「最後の清流」などと称される四万十川。ボクがカヌーを始めたのが90年で、すでにもうパドルを握り始めて四半世紀の時を経たが、いつかは訪れていたいと思っていた川である。今治から松山へと抜け、国道56号線に添って「松山自動車道」を南下する。途中、宇和島という町を通り抜ける。
実は我が家の建築資材はシアトルで購入して、日本に向けてコンテナで送った。その際にシアトルに長期滞在したが、シアトル市内に「宇和島屋」という日系のスーパーマーケットがあった。宇和島はシアトルと同じような港湾都市で、もしかして創業者がこの辺りの出身で、故国の地を忍んでそのように命名したのかもしれない。
宇和島からさらに南下を続け、愛南町、縮毛を経由してようやく四万十に到着。
2月中旬と言えども、やはり南国の陽気を感じる。河口湖は2月初旬から中旬に掛けてもっとも冷え込み、大雪が降るのもこの頃だ。ところがこの地と来たら、日中、シングルストーブでコーヒーを淹れて飲むほど暖かい。
四万十に到着して驚いたのは「沈下橋」の存在。欄干もなにもないこのシンプルな橋の構造は、四万十川が増水した際に、橋全体が川の下に沈み、欄干等の付属物がない分、損壊を最小限に抑えようという工夫である。
その工夫に、地元の人々の大いなる叡智を感じるが、そこを通る時には、大いなる不安も感じる。地元の人たちは対向車が来ても平気で橋を渡り、その狭い橋の上ですれ違うと言うが、ボクは対向車が来たら、寒い日の猫のように、じっとクルマが通り過ぎるまで待っていた。
ついにこの旅の最後の地にやって来た。なんとなくこの地に居ると、時間が2割ほど遅く進んでいくように感じる。自分自身の体内時間も、それに合わせてゆっくりと調整し直す必要があるかもしれない。もうこの先が急ぐことはなにもないのだ。
今回の旅のテーマは「日本再発見」。
去年の冬はメキシコで開催されたレースに出場した。その時の様子はすでにこのブログでも報告している。メキシコでのレースが終わり、陸路でエルパソに入り、そこから空路でアリゾナのフェニックスに移動して、久しぶりにアリゾナの国立公園などを巡った。
今年の冬は、、娘家族とシンガポールとタイへ出掛けた。どちらも娘がまだ幼い頃に家族旅行で出掛けた場所である。
メキシコ、アメリカ、シンガポール、タイと旅を続け、再確認したことは、日本という国の素晴らしさである。
特筆すべきはトイレの充実。
去年、今年と旅した4つの国の、どこにもウォシュレットがなかった。シンガポールやメキシコでは、便座さえないトイレがあった。ところが我が国のそれと来たら、ウォシュレットはどこにでもあるし、消音の為の音楽や、高速のPAなどではオストメイト(腸の手術などによって、通常排便が困難な人の為のトイレ)なども完備されている。
次に食事の安さ。
確かにタイやシンガポールも美味しくて安い店が多いが、アメリカなどはハンバーガーが600円前後の価格。店内で食べるとこれに税金が加算される。日本なら500円以下でいくらでも充実のランチが可能だ。
そして悪くなりつつあるが、それでもまだまだ諸外国と比較して治安がいい。その日本の治安の良さを実感するのが果物や野菜などの無人販売。今回もいろいろな場所でみかんを買ったが、もちろん皆、正直にお金を置いていくし、そのお金を盗んで行くような不届き者も少ないような気がする。
トイレは日本人の先進技術と繊細さの証であり、食事の安さは日本人の勤勉さと努力の証である。そして無人販売は日本人のおおらかさであり、互いの信頼性の高さである。
トイレと食事とモノの販売方法だけでも、これだけ日本人の素晴らしさを感じることができるのだ。
その素晴らしさを再確認しつつも、各地で自然環境に見合ったアクティビティを満喫する。熊野古道ではトレイルランとトレッキングを満喫し、しまなみ海道ではサイクリングを愉しんだ。そしていよいよラストの四万十。もちろんアクティビティは・・・ボクがもっとも愛するスポーツ、パドリングである。
「LittleGuy」での睡眠は確かに快適である。特に冷え込む冬場のキャンプには重宝する。車内で小型セラミックヒーターを使えば、僅か5分で真夏のような暖かさになる。だが眠ることに特化したこのキャンピングカー内では、「寛ぐ」というほどの空間はない。それに溜まった写真の整理、各デジタル機器の充電、それになによりも己のリフレッシュの為に、広島まで足を伸ばして一泊だけホテル泊をすることにした。実は近所の知人の女性が出産の為に広島の実家に戻っており、彼女のお見舞いもしたかった。
広島まで足を伸ばし、人生で初めて原爆ドームを訪れ、お好み焼きに舌鼓を打った後、さらに足を伸ばして宮島を訪れる。目的は厳島神社ではなく、その近くにある「焼き牡蠣」を食わせる「島田水産」である。
ここの牡蠣小屋は、1時間の炭火焼き牡蠣食べ放題が2,200円! 注文するとバケツにたっぷりと入った殻付きの牡蠣が運ばれ、それを炭火で焼いて食べる。食べるタイミングは熱で殻が開き、そこに好みの調味料を加え、さらに少し焼けば食べ頃。これまでの人生で、生牡蠣がもっとも旨い牡蠣の食べ方だと信じていたが、ここの焼き牡蠣を食べればその信念はいとも簡単に崩れてしまう。香ばしい、コクがある、旨味がある、それにもちろん牡蠣特有の潮の香りが拡がる。
気がつけばこの写真の通り。もしアナタが牡蠣好きで、冬の宮島を訪れることがあれば、必ずこの牡蠣小屋を訪れて欲しい。絶対に満足する。が、その時には絶対に綺麗な服装で行ってはイケない。灰だらけになるのは間違いないので・・・
何度も言うが、「しまなみ海道」は尾道から今治まで約70㌔の道が続き、本州と四国の間には6つの島々が瀬戸内に浮かんでいる。そしてもちろん島々は橋で結ばれているのだが、それぞれの橋に特徴がある。昨日、走った向島と因島を結ぶ「因島大橋」は2階建て構造になっており、上部をクルマ、下部を自転車、人、原付バイクが走るようにできている。そして個人的にはもっとも美しいと思っている「多々羅大橋」は、クルマが中央を走り、その両脇を自転車と原付バイクが走る。いずれにしても原付バイクと自転車が走る通路が別になっているところが嬉しい。
「多々羅大橋」は尾道市の生口島と今治市の大三島を繋いでおり、中間点には県境のサインもある。ある意味に於いて、そのデザインの美しさを含めて「しまなみ海道」を代表する橋とも言えるのだ。それに生口島から「多々羅大橋」を渡り切ると、そこには「道の駅 多々羅しまなみ公園」があり、その公園内には「サイクリストの碑」が建てられている。この記念碑は2014年10月25日に、瀬戸内しまなみ海道と台湾の日月潭(リーユエタン)のサイクリングコースとの姉妹自転車道協定を締結したことと、同年10月26日、国際サイクリング大会「サイクリングしまなみ」が開催されたことを記念して建造されたモノで、ここはまさに「サイクリストの聖地」と呼ぶのに相応しい場所なのである。
今回、諸々の事情によって、尾道、今治間70㌔自転車走破は叶わなかったが、二日間で70㌔以上は自転車を漕いだし、この「サイクリストの聖地」にも訪れることが出来たので、善しとしようじゃないか。夢はまた次にとっておこう。己が若々しい肉体さえ保っていれば、ここはいつでも暖かく迎えてくれるのである。
「しまなみ海道」尾道から今治まで約70㌔。本州と四国の間には6つの島々が瀬戸内に浮かび、総行程を自転車で走ってみたい・・・と思っていたが、「LittleGuy」も引っ張っているしスパーキーもいる。それに何度も言うが、この街道沿いのキャンプ場のほとんどがペットの入場を禁じている。今回は総行程制覇を諦め、向島にあるキャンプ場「尾道マリンセンター」をベースにレンタサイクルで走り回ることにする。
まずは向島にある「尾道市民センター」で自転車を借りる。因みに我々のベースキャンプである「尾道マリンセンター」にしても「尾道市民センター」にしても、実際には向島に位置するが、地元では尾道市内という感覚なんだろう。
レンタサイクルに話を戻すと、いろいろな種類の自転車があり、たいていは1日500円で借りることができる。広島側に8箇所、愛媛側に7箇所のレンタサイクル・ターミナルがあり、途中、パンク等で困ったことがあれば、修理に駆けつけてくれるという。それにご覧の写真のように、コンビニなどで工具やポンプなどを貸してくれ、街全体で自転車文化を盛り上げているようだ。
それともうひとつ、この地を訪れて驚いたことは、地元の人の親切さである。例えば道を訊ねると、ホントに丁寧に細かく教えてくれる。尾道の人たちは日本で一番、親切であると言い切ってもいいくらい、皆、親切である。人々の親切心と、この辺りの気候が無縁でないような気もするが、その親切心が、後ほど訪れる広島では感じられなかったので、尾道になにかが隠されているのかもしれない。
今回の旅の第2ステージである「しまなみ海道」へと向かう。
「しまなみ海道」とは、正しくは「西瀬戸自動車道」のことで、広島の尾道から愛媛の今治までの約70㌔を、島々と橋で、本州と四国を結んでいる。
尾道のすぐ隣、「向島」から始まって「因島」「生口島」「大三島」「伯方島」「大島」の6つの島々を越えて四国の今治に続く。もちろん正式名称の示す通り、そこは有料の自動車道なのだが、その側道には自転車や歩行者が通行可能な道が繋がり、「サイクリストたちの聖地」としても知られている。
しかしすでに報告したように、この道沿いのキャンプ場の殆どがペットの入場を禁止しており、唯一、ペット入場可能なキャンプ場「尾道マリンセンター」に宿泊することにした。名前は「尾道マリンセンター」だが、場所は「向島」の南端に位置しており、目の前には穏やかな瀬戸内の海が拡がっている。
で、せっかく尾道まで行くのだから倉敷の町を素通りすることはないと思い、少し寄ってみた。倉敷、特に「美観地区」は、天領時代の町並みをよく残している。
江戸時代初期(1642年)、ここが江戸幕府の「天領」に定められた際に、倉敷代官所が当地区に設けられ、以来、備中国南部の物資の集散地として発展した歴史を持つ。倉敷川の畔から鶴形山南側の街道一帯に白壁なまこ壁の屋敷や蔵が並び、当時の面影をそのまま残している。
我々が訪れた時は、この町のどこかの屋敷跡で結婚式が執り行われたらしく、羽織袴の新郎と美しい着物姿の新婦が、倉敷川の畔をゆっくりと歩いていた。そこに時折、雪が舞い、その雪が日本の美しさを一層、引き立てていたのだった。
今回、旅の途中にどうしても出席しなければならないトークショーがあった。一昨年の秋からタレントの清水圭ちゃんと一緒に「清水圭のアウトドアってどうなの?」という番組に出演している。(今年の5月に番組は終了)この番組はボクが達人、圭ちゃんはアウトドア初心者という設定で、圭ちゃんにアウトドアの愉しみを教えるという内容だが、圭ちゃんもボクも互いに関西出身ということでアウトドアの愉しみもさることながら、そのトークが結構、盛り上がる。で、そのトークの面白さに興味を持って頂いた方から、防災に関連するイベントに出演してくれないか、というオファーが来たのだった。が、そのイベント開催日がこの旅の真っ最中。だがテレビを観てくれて、そんな有難いオファーを頂いたのに断るワケにもいかない。ということで、旅を一旦、中断してそのイベントに出席したのだった。
ボクは常々、各自治体にアウトドア用品などの備蓄を提案している。例えばガソリン燃料の2バーナーなどは、ライフラインが絶たれた時には、とても役に立つと思われるし、同じガソリン燃料のランタンなども重宝するだろう。さらには保温クッカーなどを使用すれば、計画停電の際には便利だろうし、寝袋等も必要とされるはずだ。これらの備品はコンパクトに収納できるし、管理等もラクである。それに山で食べるフリーズドライの食品なども、普段から備蓄していれば、緊急時には大いに役立つだろう。
そんなことをトークショーで話させて頂き、また再び、旅に戻ったのであった。
試しに「熊野古道」とネットで検索すると、必ず登場するであろう写真が「観音通り」の風景ではないか。以前にも言ったが、一口に「熊野古道」と言っても、その道は4府県に跨がり、歩く道によって様々な表情を見せるが、この「観音道」はその代表的存在とも言える。
まずはJR紀勢本線の「おおどまり」の駅のすぐ傍にある登山道に入ると、「西国三十三所観音石像」の第五番~第十五番の11体の観音像たちが並んで出迎えてくれる。そこから約1㌔先に「比音清水寺」跡があり、この「比音清水寺」には古くから近所の人々が「観音講」を作って詣っており、809年(延暦23年)に坂上田村麻呂(蝦夷大将軍)によって建立されたという。
「比音清水寺」を通りすぎて頂上にたどり着くと、その道は今度は「大観猪垣道」へと続いている。この「大観猪垣道」というのは、猪や鹿から農作物の被害を防ぐために作られた石垣の登山道で、この道にも、やはりかつての人々の労苦の跡が見受けられる。
「大観猪垣道」は大吹峠へと続き、大吹峠を右折して登山道を下りて行けば、また元の「おおどまり」の駅近くの海岸へと辿り着く。この下りの登山道は美しい竹林に囲まれ、日本の繊細な情緒が存分に堪能できる道でもある。そして大泊の海岸は、真っ白な砂浜と淡藍色の透明な海が、まるで南国の海のような美しさを魅せており、登山で疲れたカラダとココロを優しく癒してくれる。いつか機会があれば、この海で泳いでみたいと思わせる。
繊細で美しい日本の自然、そして古来より続く厚い信仰。「観音道」はその双方を満喫できるのである。
「眼下に輝く渓谷を眺めながら
ダイアモンドみたいに輝く砂漠を通り抜けて
風に波打つ小麦畑や、舞い上がる土ぼこりの中を通り抜ける。
鐘の音が聞こえて、やがて霧が晴れていく
この国はあなたたちと私たちのためのもの」
これはアメリカのフォークシンガー、ウディ・ガスリーの「わが祖国」の一節である。
秋になって風に揺れる黄金色の稲畑を見る度に、ボクはこの歌詞を思い出す。
かつては2440枚もの棚田があったと言われる「丸山千枚田」も、季節に応じてその美しい姿を見せるが、作物がまったくない冬季でさえ、その棚田は日本の美しい原風景の面影を保っていた。夏にはこの棚田が緑に揺れると言われ、夏の夜にはライトアップも施されると言う。
紀伊半島も熊野を過ぎれば交通の便も悪く、クルマがようやく一台通れるくらいの山道が続くが、だからこそ、古来から連綿と続く美しい日本の風景が保たれていると言える。
地元の人々の暮らしの不便さには慮れるが、すべての地域での交通網が整備されることがいいとは限らない。この地を旅していると、とくにそう思う。
海岸線に出れば、どこか南の島のような白砂の浜に淡藍色の透明な海。そして一歩山に入れば、雅やかな竹林や田園風景が拡がる。
ウディ・ガスリーはアメリカの原風景を牧歌的に謳い上げたが、我が日本でもそこかしこに、美しい原風景が息づいているのである。
MT42BlogBetaInner
1958 年大阪生まれ。
20代は雑誌「ポパイ」の顔としてファッションモデルとして活躍したが、その後、30 代に入りアウトドア関連の著作を多数執筆。
現在は河口湖に拠点を置き、執筆、取材、キャンプ教室の指導、講演など、幅広く活動している。
また各企業の広告などにも数多く出演しており、そのアドバイザーも務めている。
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